弁護士由井照彦のブログ

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間接的安楽死・尊厳死・積極的安楽死−ぐちゃぐちゃな議論をしないために

安楽死を短絡的に、『役に立たなくなった人は死ねということか』という議論に結びつける」ほど短絡的かはともかく、橋田壽賀子氏が言うように安楽死についての日本の議論は「ぐちゃぐちゃ」感が否めません。

 そこで今回、法的な議論としての安楽死について少し整理してみたいと思います。

 まず、安楽死にかかわる法律を確認すると、

刑法202条「…人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。」

と規定されているように、我が国では人から頼まれて(嘱託を受け)又は承諾を得て相手を死なせることも、嘱託殺人・同意殺人として重く罰せられます。

 つまり、法的な意味での安楽死の議論とは、「安楽死に関与する者をどういう理屈で同意殺人で罰せられないようにするか」ということになります。

 ここで、広い意味で「相手の意思により死なせる」行為をざっくりと3つに分けて議論するのが普通です。

  •  1つ目は「積極的安楽死」であり、薬物の注射等の積極的な行為によって本人を死なせるタイプの安楽死です。
  •  2つ目は「消極的安楽死」であり、これは人工呼吸器の取り外し等、延命治療を中止し、その結果、本人が死亡に至るタイプの安楽死です。
  •  3つ目は「間接的安楽死」であり、苦痛の激しい患者にその緩和のためにモルヒネ等を投与し、その副次的効果として死期が早められるというタイプの安楽死です。

  まず、間接的安楽死は、例えばモルヒネ等の投与から即時・直接に死亡結果が生じる訳ではありません。例えばモルヒネを毎日投与した結果、寿命が2ヶ月ほど短くなったが、その間は苦痛なく過ごせていた、というようなことです。これは、医学の目的が生命の維持だけでなく、苦痛の除去にもあることが明らかな以上、適正な治療行為と言ってよく、本人の同意がある限り、法的な問題はないと考えられます。つまり、日本でも間接的安楽死は認められています。

 次に、消極的安楽死とは、近時は「尊厳死」と言われているものです。消極的安楽死で大事な点は、「患者の死亡を直接的な目的とはしていない」点です。自然な死を迎えたいという尊厳や苦痛の緩和等の他の目的の追及に患者の死期が早まる、という事態が随伴するに過ぎません。この意味では間接的安楽死と構造が共通しています。

 また、延命治療との関係では「医学的に見て無意味な延命治療」という判断はあり得ると考えられ、そうすると治療行為の延長に位置づけられ得る行為でもあります。

 ただ、人工呼吸器の取り外しを考えればわかるとおり、間接的安楽死に比べると死亡結果が直接的に発生することは間違いありません。また、尊厳死の意思を表明していた人が、実際に人工呼吸器を外される等される際には意識が無いことが多いともいえます。更に苦痛緩和ではなく「自然な死」「尊厳ある死」という個々人の信条という個別性高い事情を目的としています。

 したがって、本人の意思、真意の確認は非常に慎重にすべきであり、それが①事前の意思表明で足りるのか?②どの程度の意思表明で尊厳死の意思とするのか?③元気なときの言動から意思を推定することが可能か?④最終判断するのは誰か?等の問題が発生します。

 これらが「尊厳死」にかかわる法的な問題です。

 最後に問題になるのが積極的安楽死です。狭い意味での「安楽死」の問題と言えます。

 これは当該行為から直接・即時に死亡結果が生じますので、刑法に言う「殺した」といいやすい行為です。

 また、積極的・即時的に死を招来するので、医学上の治療行為と言うのは躊躇される行為でもあります。

 更に、積極的安楽死を望む意思と言っても、延命治療の中止の表明である尊厳死の意思表明と異なり、どのような場合に、どのような安楽死行為をとるのか等複雑な意思表明にならざるを得ません。

 したがって、積極的安楽死をどのような場合に、どのような手続きで認めるか、というのは非常に慎重、厳格に考えざるを得ません。

 ちなみに、ある裁判所は、

  1. 患者に耐え難い肉体的苦痛があること
  2. 死期が迫って回避できないこと
  3. 患者が安楽死を希望している意思表示をしていること
  4. 苦痛緩和のための医療上の手段が尽くされ他に代替手段がないこと

を要件に積極的安楽死は許容されるとの判断を示しました。

 これが絶対的基準で無いことはもちろんですが、苦痛の存在、死期の切迫、安楽死の希望、苦痛緩和という安楽死の議論の基本的な視点が提供されており、非常に参考になります。

 以上のように、安楽死についての議論を「ぐちゃぐちゃ」にしないためには、まず、

ⅰ)間接的安楽死

ⅱ)尊厳死(消極的安楽死

ⅲ)積極的安楽死

 の問題に区分して議論することが最低限必要と思われます。ここを混同すると何がなんだか分からなくなります。

 また、議論の基軸としては、積極的安楽死についての裁判例が示した、

a)肉体的苦痛

b)死期の切迫

c)安楽死を希望する意思表示

d)苦痛緩和

 という視点は最低限外さないようにすることが、実りある議論に資するのではないでしょうか。

headlines.yahoo.co.jp

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