弁護士由井照彦のブログ

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文書管理の大事さ−決裁文書の書き換えはなぜ罪深いのか?

以前にも少し書きましたが、今回安倍首相や麻生財務大臣に問われている「政治責任」という言葉は曖昧で確たる内容を持っていないコトバです。そこで今回は、安倍首相・麻生大臣の政治責任の基礎の1つである決裁文書書き換えの罪深さについて少しだけ説明したいと思います。

基本となる法律は、私は情報公開法だと思います。同法はその目的として、

情報公開法1条「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。」

と定めています。

条文構造を読み解くと、

①政府の国民に対する説明責任

②国民の的確な理解・批判の下にある公正で民主的な行政

 が2大目標です。そして、この2大目標実現のために

ⅰ)行政文書の開示請求の権利の規定整備

ⅱ)行政機関保有情報の移送の公開

 という2つの手段的な目標を定めています。

そして、情報公開の究極的な理念として

国民主権の理念

を明示しています。

つまり、行政府が保有する情報の公開について、国民に開示請求を認めることで、国民が行政を監視を可能にし、公正で民主的な行政を実現しようとしています。

そのため、

同法3条「何人も、この法律の定めるところにより、行政機関の長…に対し、当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求することができる。」

と国民に包括的な情報公開請求権を付与し、

同法5条「行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。」

と定めて、行政に対して原則公開を義務付けているのです。

実際的に考えても、行政がどのような資料を基礎に、どのような過程を経て、どのような利益を守るために、どのような判断をしたのか?等がわからない限り、国民が行政が「国民のために役立っているのか?」を判断することは全く不可能ですので、行政に対する情報公開請求権は、国民生活にとって非常に重要な権利です。

他方で、上記5条で不開示情報については行政は公開しなくても良いと定められています。これはもちろん、公開することでかえって国民の不利益となるような情報を公開することは、「公正・民主的でより良い行政の実現」という情報公開法の目的にそぐわないので、行政は開示しないことができることを定めたものです。

不開示情報には、個人情報のような国民個人の権利保護を目的とするものもありますが、

同条4号「公にすることにより、犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」

同条5号「国の機関、独立行政法人等、地方公共団体及び地方独立行政法人の内部又は相互間における審議、検討又は協議に関する情報であって、公にすることにより、率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ、不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれ又は特定の者に不当に利益を与え若しくは不利益を及ぼすおそれがあるもの」

 のように個々人の権利保護というよりも、多数者の共通利益=公益保護が目的のものが大半を占めます。

したがって、

「公益保護のための非開示情報にあたるか否か?」

「行政監視と公益保護のどちらが優先するか?」

の問題として、しばしば裁判で争われ、色々な判断がなされています。

しかし、そのような議論、争いも1つの大原則を当然の前提にしています。つまり、

「開示と決まれば、当該文書をそのまま開示する」

ということです。

開示が決まったので、開示前に元の文書を書き換えて開示する、ということが起こってしまうと、そもそも開示の意味はなく、行政の監視に役立つはずもありません。

だからこそ、決裁文書というのは一旦決裁に回されはじめた後に訂正する場合には、書き換えではなく、削除箇所に二重線等を引き、加入箇所には後から加入したことがわかるよう加入し、それぞれ誰が削除・加入を行ったかわかるように訂正者の印鑑を押印するのです。

紙そのものを入れ替えたり、まして最終決裁が終わった後に訂正するなどあり得ない、というのが情報公開法の大前提です。

つまり、決裁文書の書き換えは、情報公開法の目的である

①政府の国民に対する説明責任

②国民の的確な理解・批判の下にある公正で民主的な行政

 という価値を根本的に否定し、同法の究極理念である

国民主権の理念

 をも完全に否定する行為です。

今回、書き換えを行ったのは現在の政府の立場を前提としても、財務省理財局という「行政権」です。

行政権が、国民主権の理念の完全否定行為を行った場合に、当該省庁の長(今回では麻生氏)や行政のトップ(今回は安倍氏)はいかなる責任を負うべきか?という視点で今後の展開を見ると、曖昧な「政治責任」を少しは具体的に感じられ、有益だと思われます。

 

headlines.yahoo.co.jp

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