弁護士由井照彦のブログ

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死刑の「基準」と「罪を憎んで人を憎まず」の関係?−永山基準について

死刑は我が国で最も重い刑罰であり、しかも人の人生そのもの終わらせる、生命を奪う刑罰です。したがって、決して軽々に科すべき刑罰ではありません。近時、大きな事件があるとすぐに「死刑にしてしまえ」のような言葉をネットに書く人がいますが、死刑という刑罰の重み、厳粛さ、その背景にある生命の大事さ、尊厳をわかっていない非常に軽薄な言説と言えます。

裁判においても、犯罪がいかに重大であっても、死刑に処すか否かは厳密に審理されます。この死刑に処すか否かについてマスコミでよく取り上げられるのがいわゆる「永山基準」です。

永山基準とは、犯行当時19歳の永山則夫元死刑囚が拳銃で4人を射殺して強盗殺人等を犯した事件で、第一次控訴審判決が無期懲役としたのを最高裁が破棄して高等裁判所に差し戻した際に

「死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大あつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない。」

と判示したものです。

上記引用をみてわかるとおり、「●●と▲▲が満たされれば、死刑に処す」という図式の「基準」ではなく、死刑に処すか否かを判断する際の「考慮要素」を示したものです。

ここでは、

①犯行の罪質

②動機

③犯行態様、特に殺害手段の執拗性・残虐性

④結果の重大性、特に殺害された被害者の人数

⑤遺族の被害感情

⑥社会的影響

⑦犯人の年齢

⑧前科の有無

⑨犯行後の情状

が挙げられています。

一般の人にとってわかりにくいのは、上記9項目にはそれぞれ重み付けに差がある、ということです(この意味で上記を「基準」と呼ぶのはわかりにくさを増すだけだと思います)。

死刑事件に限らず、刑事裁判の量刑がどのように決められるのかは2つの軸から考えるとわかりやすいと思います。

まず、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉が示唆するとおり、量刑で最も重視されるべきは「罪」そのものですので、「犯罪そのものの『悪さ度合い』」が量刑を決める1つ目の軸になります。したがって、上記9項目の中でも犯罪のⅰ)「悪さ度合い」を示す要素であればあるほど重視されます。

次に、裁判は人の利益を奪うものであり、特に刑事裁判とりわけ死刑判決は被告人の生命まで奪うものですから、その判断は「手堅く」行われなければなりません。したがって、ある事実の存否の「可能性の高低しかわからない」ものより、「あるか無いかはっきりわかっている」事実をより重視すべきといえます。言い換えるとⅱ)「目に見える事情」かどうかが2つ目の軸になります。したがって、上記9項目の中でも目に見える要素ほど重視されます。

この2つの軸で考えると、①罪質、③残虐性等の犯行態様、④殺害人数等結果の重大性は、ⅰ)悪さ度合いそのものを示す事情ですし、ⅱ)事実の存否がはっきりわかる「目に見える」事情です。したがって、量刑にあたって非常に重視されます。今回執行された犯罪も①強盗殺人を含む重い罪質であり、③犯行態様は非常に残虐であり、④4人も殺害されている点が非常に重視されており、非常に重い量刑となるのが原則だったと考えられます。

 次に、②動機はⅱ)目には見えやすいかどうかは事案によりますが、犯行そのものにかかわるのでⅰ)悪さ度合いはある程度示す事情です。今回の事件でも金銭・強姦目的が認定され、刑を重くする事情としてそれなりに重視されています。

 ⑤遺族の被害感情は、殺人事件では殺害された被害者自身の被害感情を代弁するものです。そして、被害感情はまさに犯行そのものから発生した一種の「結果」ですので、ⅰ)悪さ度合いを示しますし、ⅱ)目に見えにくいわけではなく、やはり重視されます。

 その他の事情の内、よく話題になる「本人の反省・更生可能性」について説明すると、まず犯行の後に本人が反省しようと更生しようと、犯行そのもののⅰ)悪さ度合いには変わりがありません。また、死刑判決も予想される中で被告人が本当に「反省」しているのかをはっきり判断することは困難でありⅱ)目に見えにくい事情です。更生可能性に至っては一種の未来予測なので益々ⅱ)目に見えにくい事情です。したがって、量刑に与える影響は限定的です。

ただ、死刑事件について上記永山基準最高裁

「極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」

との表現を使っていることからわかるとおり、冒頭に書いた死刑の持つ重み、厳粛さからは「死刑か否かギリギリの判断」を迫られる事例が多いのは当然です。そのため、量刑への影響は限定的であっても、反省や更生可能性を考慮せざるを得ないという面があります。

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