弁護士由井照彦のブログ

法律の視点からの社会・事件やリーガルリサーチについて

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刑は有限?−刑の「重さ」を考える

ここ3回の投稿で高速道で自動車を停止させた死亡事故を題材に刑法の思考を説明しましたが、これに対し、事件の悪質性や被害者の残された子を考えると「死刑か無期懲役くらいじゃないと納得出来ない」という意見をいただきました。一般の方の感覚としては当然の気持ちです。

そして、今回の容疑者を無期懲役や死刑にしてはいけないと説く刑法ないしその運用に携わる法律家の感覚が一般と「ズレている」と一般の方から思われるのも十分に理由があると思います。そこで今回はこの「ズレ」はどこからくるのか?につき少し説明をしたいと思います。

まず、強調しなければならないのは一般人の量刑感覚というのは非常に大事だ、ということです。

刑法の機能のうち①応報の観点からはどのような刑が犯した犯罪に見合うか=応報として適正かというのは、我が国の歴史的な経緯・伝統をも含む一般人の感覚の結晶という側面が強いと思われます。また、②一般予防(一罰百戒)というのは、国民を刑罰で威嚇して犯罪を思いとどまらせようという効果を狙っていますので、一般人の「こういう犯罪を犯すと、こんな刑罰が来るから、やめておこう」という感覚=量刑感覚と結びつきが非常に強いわけです。

そのことを前提にしているのに、何故、本件では容疑者を死刑や無期懲役にしてはいけない、上限7年の懲役でなければならない、と刑法が判断し、法律家も基本的に同様の立場なのか、という問題は少なくとも表題にもした通り「刑は有限」という視点が絡むように思います。

我が国の刑法の刑の上限は例えば殺人罪について、

刑法199条「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」

と規定されているように、死刑です。死刑廃止国では上限が終身刑になります。

他方、刑の下限は例えば侮辱罪について

刑法231条「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。」

刑法17条

科料は、千円以上一万円未満とする。」

と規定されているように、1000円の罰金です。

刑法は世の中に存在する全ての犯罪類型、そして同じ犯罪の中でも非常に多様で個性のある個々の犯罪をこの「1000円の罰金から死刑まで」の範囲で規律します。

そしてその規律の仕方は前3回で説明したとおり、犯罪同士を「比較」して「より社会的非難の強い犯罪をより重く罰する」ということになります。

ここで重罪・重罰の例を考えると、死者12名、数千人の負傷者(重篤な障害が残存した人を複数含みます)を出した地下鉄サリン事件サリン散布実行者は自首が認められた1名(しかもかなり特殊な自首)を除く全員が死刑でした。

この際サリン散布実行者を地下鉄の駅まで車に乗せていった運転手役の中に地下鉄サリン事件への主体的関与が無く、従属的立場で運転主役を務めたにすぎない者がいました。従属的な運転手であったとしても、地下鉄サリン事件という悲惨な結果を生み出した犯人グループの一員であり、運転手がいなければ散布実行者は駅に行けなかったのですから、役割が軽くはありません。

しかし、従属的な運転手がサリン散布実行者と同じような①応報を受けるべきだ、というのには法律家は躊躇するところがあります。また②一般予防の観点からも「サリンを撒くな」というのと「サリンをまく奴の運転手をするな」というのでは刑罰で威嚇しなければならない強さは圧倒的に前者ではないか、という躊躇も法律家にはあります。

この思考を一因として地下鉄サリン事件では他に重い余罪の無い運転手役は無期懲役判決となりました。

さて、翻って今回の高速道に自動車を停めさせた容疑者の悪質性(科すべき応報)や一般予防(刑罰による威嚇)の必要性は、上記のサリン事件と「比べる」とやはり弱いことは否定できないと思います。

法律や判例の勉強をする法律家(刑法の立案者を含みます)は、サリンよりはマシだけれども、ここには書けないくらい酷い態様の殺人、メチャクチャ悪質な(重・業務上)過失致死事例、危険運転致死事例などたくさん学びます。

刑法は「より社会的非難の強い犯罪をより重く罰する」という手段で犯罪抑止を目指す法律です。そのためには犯罪同士を「比較」して刑の重み付けを決めることが必須となります(罪刑の均衡の要請ともいいます)。

そして、冒頭で説明しましたとおり、刑には上限(我が国では死刑)があります。この「刑には上限がある」という制約の中で「より社会的非難の強い犯罪をより重く罰して社会秩序を維持する」という目標を達するためには、より悪質な犯罪の存在を意識して、「あんな酷いのと同じ重罰を科していいのか?」ということを考えざるを得ません。そのため、いわゆる厳罰化には抑制的にならざるを得ない、これが刑法の立案者や法律家の感覚の1つであり、一般の方と感覚がズレる一因と思われます。

もちろん、現在の刑法の規定が絶対に正しいわけではありません。社会の動向や社会意識、一般人の量刑感覚により刑の重み付けが変わることも当然あります。それらを勘案しながら選挙で選ばれた国会議員が立法を行いますし、裁判でも社会の動向は当然考慮要素になります。

ただ、法律家は法律を勉強した者、法律の運用に携わる者として(現行)刑法が様々な要素を考慮して定められていることを説明し続けなければならないものと私は考えています。

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