弁護士由井照彦のブログ

法律の視点からの社会・事件やリーガルリサーチについて

にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学・司法へ

大事なのは「きまり」?−「何を決めていたか?」を明確に

記事のように茶色の地毛を黒く染めるよう強要するのは、黒以外の髪色という特定の身体的特徴を蔑んでいるとの見方は十分あり得ますので、本件で人権や人格的利益が論じられることは当たり前といえば当たり前です。

しかし、「人権」「価値観」の議論は妥協が難しい上に、我が国では感情的になりがちです。ですので、それらが問題になる事件であればあるほど、人権等の議論以前の問題をきちんと整理しておかなければ冷静で有益な議論にはなりません。

本件での人権等以前の問題とは「学校は何を決めていたか?」という問題であり、染髪要求に「教育効果があったのか?」という問題に連なります。

本件で学校又は教師が生徒に「髪を黒く染めてこい」と言っている根拠は「校則」だと思われます。「校則」というのは生徒手帳に書いてあるものだけでなく、学校長や職員会議で生徒に守らせると決めたものも含むと考えるのが通常です(この点にも実は大きな問題がありますが、それは別の機会に。)。つまり、学校・教師は「校則で決まってるんだから黒く染めて来い」と言っていたことになります。そしてそれを支える考え方は「『きまりは守れ!』という教育は大事だ」ということだと思われます(この考え方の当否は今回は論じません)。

では、本件の高校の校則はどのような定めだったのでしょうか。

別の記事(https://www.bengo4.com/internet/n_6057/)によると都立高校の6割で「地毛証明書」つまり、「染色や脱色等をしておらず生まれつき髪の色はこのとおりなのです」という証明書を提出させているようです。ということは、地毛であれば髪が茶色でもいいということなので、校則としては例えば、

「生徒は髪を染色・脱色してはならない」

と定めているものと思われます。そしてこのような定めが高校の髪についての校則としては一般的であろうと思います。ただ、この定めだけですと校則に反して髪を染めた生徒に対処できないとも考えられますので、但書か別項で

「校則に反して染色・脱色した生徒は染色等により元の髪色に戻さなければならない」

というような定めを置くことも考えられ、実際そのような校則を定めている高校は多いものと思われます。

しかし、上記のような通常の校則では記事の学校のように地毛が茶色の生徒に「髪を染めてこい」とは言えません。そもそも上記のような通常の校則は「親から貰った身体の一部である地毛を染色等人工的に別の色にすること」を「悪いこと」と評価して、「そんな悪いことはしてはいけない」と禁止しているので(この点の当否は今回は論じません)、地毛を別の色に染めて来いと言うのは「悪いことをしろ」と言っているようなものであり、矛盾以外の何物でもありません。

そうすると、仮に記事の学校の校則が上記のような一般的な校則であったとするならば、「茶色の地毛を黒色に染めてこい」と学校・教師が生徒に言うのはそもそも何の根拠もない不当要求と評価される可能性が高いものと思われます。

これは生徒に対して「きまり=校則を守れ!」という教育において決定的に重要な「何が決まりか?」「何を定めているのか?」という問題であり、「人権」や「価値観」の議論以前の問題です。言い換えれば、「学校・教師が『きまりは守れ!』という教育をするにあたっては、ちゃんと『きまり』(校則)を定めなければいけない。」という学校・教師が果たすべき義務・役割をちゃんと確認する、という問題・議論です。

この点をきちんと確認しないと今回の学校・教師の染髪要求がそもそも「『きまりは守れ』という教育上の効果があったのか?」がわかりません。教育上の効果も無いのに地毛を染色しろと要求することが正当化されるとは考えられません。つまり、身体的特徴についての人権や価値観を論ずるまでもないことになります。

なお、今回の学校・教師の染髪要求が校則に則ったもの、「『きまりは守れ』」という教育効果があったものとすれば、その校則は

「生徒の髪の色は黒とする。それ以外の髪色の者は黒に染髪しなければならない」

というものだったと考えられます。

校則がこのような内容であった場合には正に「黒以外の髪の色」という「身体的特徴」を否定する内容との評価が可能ですので、「平等権」や「人格的利益」という「人権」「価値観」の議論を戦わせることになります。

headlines.yahoo.co.jp

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ