弁護士由井照彦のブログ

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「見ないから払わない」は正しいか?−表現の自由と放送

記事にある「見ていないのに支払うのはおかしい」という感覚は非常に説得力があり、今回の最高裁判決に反感を持つ人が多いのも当然といえば当然だろうと思います。

ただ、「見たくないから払いたくないvs.法律が合憲だから払うのが当然」というような単純な論争は不毛で無益です。実のある議論をするために、まず一見非常識に見える最高裁判決の理屈を少し知ることは有益だと思います。

今回問題となった放送法の規定は、

放送法64条1項「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。…」

というものであり、テレビを買った者は必ず協会=NHKと契約しなければならない、つまり受信料の支払が強制されていることになります。

契約というのは当事者双方の自由な意思が一致する場合に成立するものですから、テレビを買っただけで契約を強制されて、強制的に受信料を徴収されるというのはある意味矛盾とすら言えます。

今回の訴訟でNHKから受信料を請求された被告はこの規定について、

  1. テレビを買った者全員がNHKを見るわけでは無いのに受信料を強制徴収されるのはおかしいし、受信料を払えない者はテレビを持てず、結果的に民放を観る権利も制約されてしまう
  2. 契約の締結が強制される上、契約内容はNHKが決めるのでテレビ購入者の契約は契約の自由に反する

ということを理由に、放送法64条が憲法13条(幸福追求権)、憲法21条(表現の自由)、憲法29条(財産権の保障)に反する、として受信料支払を拒否したわけです。

ここで、被告が憲法21条が定める表現の自由を挙げているのが1つのポイントです。

表現の自由とは

憲法21条1項「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

と定められており、「表現する自由」だけでなく「表現を受け取る権利=知る権利」も保障されている、と考えられています。

そうすると、被告の立場からは、

・テレビを買うとNHKから受信料を徴収される
→負担できない者はテレビを買えない
→無料で視聴できる民放も見られない
→民放が行なう表現を受け取れない
→知る権利が侵害されている

ということになります。

この理屈自体は最高裁は否定していません。

実は最高裁判決の理由の柱の1つも表現の自由から出発します。

その理屈を知るため、まず、放送法の目的を見てみると、

放送法1条「この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。」

 この規定は、放送というのは利用できる電波帯が限られるため、書籍等と異なり、「放送を利用した表現者」は少数に限定されるという性質がある一方で、放送は映像という書籍等よりはるかに大きなインパクトを与える表現手段である、ということを反映した規定です。

つまり、有限で少数しか表現することのできない強力な表現手段は、何らかの目的に従った国家の規制の下で利用されるべきだ、ということです。

そして、その目的とは、憲法が重要な価値と定める「表現の自由(=知る権利)を確保する」ことを通じて、「健全な民主主義の発達に資する」ことである、ということを定めている規定です。

この目的に沿って放送を規制する方法(仕掛け)の1つとして放送法は、放送をまず大きく2つに分けます。

それが、

①運営費を広告(CM)等によって賄いつつ、利益を上げる民放

②運営費を国民からの受信料によって賄う公共放送

 になります。

①の放送は、我が国の基本的な政治・経済体制である資本主義ないし市場原理=自由競争の原理の下で運営されることを前提に、不偏不党等の放送法の規制を守らせるという類型です。

②の放送は①と全く逆であり、最初から放送法の目的を課した上で、市場原理や自由競争の原理ではない原理でされる類型です。

このように全く異なる原理の下で運営される複数の類型の放送を確保することで、幅広い放送内容を確保して、国民が幅広い情報を得られるようにする=知る権利、表現の自由を確保しようというのが放送法が定める「仕掛け」です。

ここで②の類型の放送を運営するための「受信料」について「観る人・観たい人だけが支払う」ということにすると、これは市場原理そのものの仕組みとなってしまい、異なる原理で運営される放送を複数確保するという放送法の大きな「仕掛け」に反してしまいます。

つまり、②の類型の受信料は「観るor観ない」「観たいor観たくない」に関わらず、テレビを持っている人全てから一律に徴収されないと、放送法が企てた「仕掛け」が維持できないわけです。

そして、この放送法が企てた仕掛けは

表現の自由=知る権利をよりよく確保するためのものであり、

・引いては我が国の健全な民主主義の発達にも寄与している、

 これが最高裁NHKの受信料強制徴収を合憲と判断した大きな理由の1つです。

これにはもちろん異論があり得ます。しかし、少なくとも「観ない・観たくないから支払わない」というのが絶対の理屈・常識ではないことを知るのは、非常に大事だと思います。

headlines.yahoo.co.jp

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