弁護士由井照彦のブログ

法律の視点からの社会・事件やリーガルリサーチについて

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法律と歴史・社会−戸籍についてあえて触れなかったこと

前回、我が国の戸籍という書類の特殊性と戸籍制度の長い長い歴史について説明し、我が国の法制度を前提にすると戸籍の公開には極めて抑制的であるべきことを指摘しました。

気づいた方も多いと思いますがその際に1つ敢えて触れなかったことがあります。もちろん、いわゆる被差別部落問題と戸籍の関わりです。

触れなかった理由は、被差別部落問題と戸籍との関係は少なくとも「法制度上の」つながりが無いからです。
しかし、法律や制度というのは我が国の歴史や社会的な実態とは不可分なものです。しかも、記事のように国会議員(それも与党議員)がこの問題について「ルーツや差別の話なんて誰もしていない」と言い切ってしまう現状を考えると、やはり説明しておくべき問題かなと思いました。

戸籍法は、

戸籍法6条「戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する・・・」

と規定しており、これが本籍についての基本規定です。

この条文からは①本籍とは特定の市町村の区域内であること、及び②戸籍は本籍地で核家族毎に編纂されることがわかります。

①については、本籍とはいわば戸籍の管理地を定める機能があることになります。逆に言えば、本籍地は日本国内であればどこでもよく、実際に「千代田区千代田1−1」つまり皇居に本籍を置いている人・家族は結構な数います。

一方で、②は子は通常結婚までは父母と本籍が同じであることを意味します。これにⅰ)結婚とは「家」と「家」がするものであるとの意識、ⅱ)祖先が住んでいた土地への愛着、等の様々な意識が絡まり合い、多くの人が婚姻にあたって、夫の従前の本籍地を夫婦の本籍地にする、いわゆる「入婿」の場合には、婿入りを受けた側の女性=家の本籍地を夫婦の本籍地とするという慣習又は社会的実態が存在します。

そのため、戸籍の本籍地欄を見れば、その人の祖先の土地的な出自が事実上わかってしまう、という実態があります。

そして、江戸時代以来の根強い部落差別意識の下、江戸時代の被差別部落が現在の町名・字ではどこか?という情報が我が国には昔から流通しています。ネットのない時代はそれが記載された本(公刊していない本)を売り歩く業者がいました(現在もいると思います)。現在はネット上にすらかかる情報が上がっています。

もちろん部落差別には何の理由もなく、不合理な差別であることは明白です。
他方で「部落差別には理由がないから、本籍地が知られても堂々としていればよい」というのはそれこそ非常に長い歴史のある部落差別の根強さ、現在なお被差別部落情報が流通しているという我が国の実情を甘く見ているとしかいいようがない、机上の空論です。
また、「嫌なら本籍を変えれば良い」というのは、上記のように本籍を自己の先祖が住んでいた土地の愛着から選んでいる人に「不合理な差別」を理由にその愛着を捨て去れ、と言っているようなものであり、戸籍制度を維持し、その中に本籍地の記載を求める我が国の法制度と全く整合しません。

繰り返しますが、我が国の戸籍制度は創設以来135年以上経っている、歴史の長い制度です。歴史が長いということは、制度の目的や趣旨とは本来は関係のない様々な「しがらみ」がまとわり付いているということです。
歴史が長い戸籍制度を維持するということは、このような「しがらみ」を直視するということです。
直視した上で、「戸籍の公開を要求すること」が、たとえ政治家に対してであっても、我が国の歴史や法制度と適合するのか?を慎重に検討する必要があります.

 

 

http://www.sankei.com/politi…/…/170716/plt1707160017-n1.html

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