弁護士由井照彦のブログ

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親は「決めなければならない」−300日問題の背景−その2

前回、

①親を定める=育てる責任を負う者を決めることが子の福祉にも国家の要請にも適うこと

②同じ目的で親と決まった者がそれを否定する=嫡出否認は非常に限定された場合にのみ認められること

を説明しました。今回はその先の展開を説明します。

まず、300日問題を含む問題がどれほどあったとしても、現行の嫡出推定制度を単純に廃止することは不可能である、ということはしっかり確認する必要があります。

単純に嫡出推定制度を廃止してしまうと、子が産まれた段階では「父は不明」「父は決まっていない」ということになります。

そうすると子どもが産まれた場合、全ての子について「父を決める」という手続が必要になります。あくまで「不明」であった父を「決める」という手続なので、「自分はこの子の父ではない!」という紛争が必ず発生します。その主張に根拠があろうと無かろうと「父が決まらない」という状態が一定期間発生することになりますし、紛争である以上、必ず解決する=父が決まるという保障もありません。

また、そもそも「どうやって決めるのか?」の基準がわからないのも問題です。

全員にDNA鑑定をするという方法は生物学的親子の判定には役立ちますが、「育てる責任を負う者を定める」という子の福祉及び国家の要請とは相反します。非常にドライに感じられますが、「子を育てるのは親の責任(国の責務ではない)」という前提を崩さない以上、「血がつながっているかいないか」とは関係なく「育てる責任を負う者=親」を定めなければならないということです。

そうすると現行の嫡出推定制度、つまり父子関係と「婚姻」を結びつけるという発想は「親を決める」方法として少なくともあり得る考え方です。また、民法上の婚姻とは「食卓とベッドを共にする関係」という比喩で説明されるように、①財産・生活の一体性と②性的関係が核心とされていますので(詳細やその当否は別の機会に)、子が生まれたら普通は婚姻の相手の子と考えられる⇒現行の嫡出推定制度というのはある種の「常識」に支えられているとも言えます。

同様に嫡出否認の主張を無制限に認めることも不可能であることも確認する必要があります。

「育てる責任者が決まらない」という事態は当然子の福祉に反しますし、国家の要請にも反します。しかし、それ以上に「一旦決まった責任者=親がその責任を免れる」ことは、それまで「子を育てる責任者」が決まっていることを前提に構築されていた生活関係等の現状が木っ端微塵に破壊されるのであり、子の立場からも国家の立場からも「たまったものではない」事態といえます。

この「たまったものではない」事態を直接招くのが嫡出否認の主張ですので、それは極めて限定せざるを得ない、ということになります。

そうすると、

①「父子関係」が問題となっている場面で否認主張を「父」に限定して認め

②慎重な判断を期すために手続を訴訟に限り、

③一旦父子関係を認めた後の否認は現状の崩壊の程度が甚だしいのでこれを認めず

④父子関係が1年以上続いた後の否認も現状の崩壊の程度が甚だしいのでこれを認めない

という限定はあり得る考え方であり、これを「無制限に」緩めるのは子の福祉にも国家の要請にも反します。

さて、他方で「育てる責任者を決める」ことが嫡出推定制度の核心であるとすると、例外が認められる場合があるのではないか?という点が問題になりますし、その先に300日問題の解決のヒントがあるのではないかも考えられますが、それは次回以降に。

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