弁護士由井照彦のブログ

法律の視点からの社会・事件やリーガルリサーチについて

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知らなきゃ悪くない?ー故意の意味

英孝氏を擁護する理由を聞かれると(私を含む)多くの男が「明日は我が身」と思うからのような気がしますが、それはともかく、英孝氏の弁明や擁護論を法律的に構成すると、彼には「故意が無かった」ということになります。
そして、英孝氏や彼の擁護者を批判する人々は、(知らなかったはずはないとの批判以外では)「知ってようと知らなかろうと悪いことをしたんだろう」と批判しているのであり、犯罪に故意は必要ない、という見解に親和性があります。
刑罰という社会的非難が加えられる「犯罪」を正確に定義すると「①構成要件に該当し、②違法で、③有責な、行為」ということになります。」
今回の事件に引き直せば、①は17才の女性と情交関係を結んだことであり、②は正当防衛等の違法性を失わせる事情がないことを意味します。
そして、③が故意ということになります。
故意については、刑法に規定があり

刑法38条1項「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」

 とされています。

つまり、故意とは「罪を犯す意思」であり、我が国ではこれが無いと原則として犯罪は成立せず、罰されることはありません。なお、例外は過失犯処罰ということになります。
「罪を犯す意思」をもう少し実質的に定義すると、「犯罪事実の認識」ということになります。そして、犯罪事実とは①の構成要件該当事実を中心とする事実です。
このような意味での故意が犯罪成立に必要である理由は、①の構成要件にあたる「客観的に悪いこと」を認識していながら、敢えて行為をした・思いとどまらなかったことが、強い社会的非難にあたる、と考えられるからです。
さもないと、行為者は非難されるべきであるから処罰されるのではなく、単に運が悪かったから処罰される、ということになってしまいます。そうすると、国民が法を守ろう、犯罪を犯さないようにしよう、という遵法意識が段々低下していくことになり、健全な社会が維持できなくなります。
つまり、犯罪事実の認識が無い場合、自己の行為が「悪い」と認識できない訳ですから、その行為を思い止まろうという動機(=反対動機)が発生しないので、行為者に強い社会的非難をすることができないので、刑罰を課すべきではなく、犯罪は成立しない、ということになります。
今回の事件でも、相手の女性が17才(青少年)であるからこそ、情交関係を結ぶことが、青少年保護育成条例が刑事罰を課しているわけであり、相手の年齢が「17才」というのは犯罪事実そのものであり、故意の一内容です。
そして、英孝氏が相手が17才と知らなかったとすれば、情交関係を思い止まろう、という動機は発生しません。
そのため、彼に強力な社会的非難である刑罰を課すことはできないのです。
法律と一般常識は違います。淫行処罰されなくとも、一般常識からは彼の行為を非難することもあり得る考え方です。
しかし、現代ではネット上の常識とリアルの常識がかなり異なることから分かる通り、「何が一般常識か?」自体を考えることが極めて重要です。そうすると、改めて考えた一般常識からは彼を非難すべきでない、との考え方も成り立ち得ます(もちろん、改めて考えて、やはり彼は非難されるべき、との結論になる可能性もあります)
そして、一般常識の内容を考えるにあたって、我が国の法律の仕組みを思考の道具の1つとすることは、有益であり、思索が深まると思います。
 
 

そこに愛はあったの?ー「淫行」とされるSEXとは

個人的には17歳の女性から「23歳」と言われて、嘘を見抜く自信はありませんが、それはともかく、英孝氏の行為の何が問題か?は、それほど単純な話ではありません。

この問題を考えるにあたっては、我が国の法律が未成年者とのSEXについて、どのようなスタンスであるかを知る必要があります。

まず、(強姦等の犯罪を除けば)SEXと最も関係が深い法制度は間違いなく「婚姻」という民法上の制度だと思います。
民法は夫婦間の義務として貞操義務、すなわち配偶者以外とのSEXをしてはなならないという義務を定め(民法770条)、夫婦間に生まれた子どもには「嫡出子」という一種の身分を与える(民法772条)等、夫婦間でのSEXを前提とする権利・義務等を定めています。

そして、結婚は女性は16歳、男性は18歳になれば可能です(民法731条)。

親が未成年者である間は子どもを作ってはならないとの規定は無く、未成年者がSEXをすることがあることは民法は前提としています。更に、未成年者の結婚の相手が成年者であってはならないとの規定もないので、成年者と未成年者がSEXすることがあることも民法は前提としていると言えます。

ここで、「(少なくとも)未成年者の、又は未成年者とのSEXは結婚後に行うべき」との意見があり得ますが、民法789条は未婚の者同士の間に出来た子どもについて、両親が結婚すれば嫡出子の身分を取得すると定めており(準正といいます)、婚姻前にSEXをすることがあることも前提としています。そして準正について、成年者と未成年者を区別する規定はありません。

以上のことからは、我が国の法制度上最も基本的な法律の1つである民法上は未成年者がSEXをし得ることを前提としており、少なくとも未成年者とSEXをすることを非難するような価値観は採用していません。

英孝氏の行為が問題と言われているのは、いわゆる青少年保護育成条例の規定によるのですが、例えば東京都青少年の健全な育成に関する条例は、

(青少年に対する反倫理的な性交等の禁止)
第18条の6 何人も、青少年とみだらな性交又は性交類似行為を行つてはならない。

と定め、違反者に刑事罰を課しています。

これは単純に見ると、上記民法の原則と反するように見えますが、表題及び条文に「反倫理的」「みだらな」という文言があるのがポイントです。これは民法の原則に対して、①特定の目的・趣旨で、②目的等に必要な限度で、例外を定めたものと考えられます。

判例は、①淫行処罰の目的・趣旨について、

「一般に青少年が、その心身の未成熟や発育程度の不均衡から、精神的に未だ十分に安定していないため、性行為等によつて精神的な痛手を受け易く、また、その痛手からの回復が困難となりがちである等の事情にかんがみ、青少年の健全な育成を図るため、青少年を対象としてなされる性行為等のうち、その育成を阻害するおそれのあるものとして社会通念上非難を受けるべき性質のものを禁止することとしたものである」

 とします。つまり、青少年に悪い影響を与えるような形態のSEXから未成年者を守ることが目的であるとします。

そして、②上記のような悪いSEXから未成年者を守るために禁止すべき「淫行」の意味は、

「『淫行』とは、広く青少年に対する性行為一般をいうものと解すべきではなく、青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似制為をいうものと解するのが相当である。」

とします。

つまり、淫行処罰で罰せられる「みだらな性交」をSEX全般ではなく、不当手段によるものや自己の性欲を満足させるためだけのものに限っています。

どのようなSEXが上記判例に言う「淫行」にあたるかは、個々の事実関係によることになります。
しかし、少なくとも真摯な交際からのSEXが判例の言う「淫行」にあたらないことは明らかです。

これはつまるところ「そこに愛はあったの?」を問うこととある程度重なるのではないかと思われます。

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共謀罪について冷静で有益な議論をするために

共謀罪についての議論が喧しいのですが、「喫茶店で話すだけで捕まるvs条約上制定義務がある」というような荒っぽい対立軸が強調されています。

共謀罪の是非を考えるためには、

「現行法上『共謀』はどの範囲で罰せられるか?」を押さえて、
「現状に加えて新たにどのような範囲を罰するのか?」
を考えないと、現実的な思考ができません。
というのも、「共謀」は現行法でもそれなりに罰せられているからです。

H28/11/1の記事にも書いた通り、「犯罪の実行行為を分担をしていないけれども、犯罪の実現に重要な役割を果たした者」は、「『共謀』共同正犯」として罰せられます。
この「共謀」については、
「(暴力団組長等)上位者が下位者に命令する」、
「対等な者同士で犯行計画を練る」
等は語感から想像しやすいと思います。

しかし、現実には上記のような典型的なパターンだけではなく、
AとBが犯行を計画して、BがAには知らせず実行をCに命令した場合にAも共謀共同正犯になる(順次共謀)、
DがYを殴っている現場に、Fが出食わし、その場でDとYから金を強奪しようという話になり、2人でYを殴って金を強奪した場合にDとFが共謀共同正犯になる(現場共謀)
等のパターンも共謀共同正犯として罰せられます。

更に、「黙示の共謀」も認められています。黙示の共謀とは、例えば、
暴力団組長は一切指示も示唆もしていないが、下位の組員が組長の移動に拳銃を所持してボディーガードしていた」という場合に、「組長の立場を考えれば、実質的に組長が組員に拳銃を所持させていたと評価できる」として組長と組員を共謀共同正犯として罰する、という考え方です。
ここでは、「話す」という要素すら不要とされています。

また、正犯とまでは評価できなくても、「他人をそそのかして犯罪実行の決意を生じさせて、その決意に基いて犯罪を実行させた」という関係にあれば「教唆犯」として正犯と同じ刑が科されます(刑法61条1項)(教唆犯を教唆すること(教唆犯の教唆犯を教唆すること・・・)も同じく教唆犯になります(同条2項))。
「そそのかす」とは通常「話す」ことで行われるのであり、それは「喫茶店で話す」という形態を含むことになります

更に、「そそのかす」(=犯意を発生させた)とまで言えなくても、「既に犯人に生じていた犯意を強化し、犯罪遂行を容易にした」と言えれば、「幇助犯」として、罰せられます(刑は軽減されます、刑法62条)。
古い判例には、「男はやるときはやらねばならぬ」などと激励して殺人の決意を強固にした者が幇助犯とされたものがあります。
当然、上記セリフが喫茶店で言われても幇助犯となり得る訳です。

以上のように、現行法でも一般用語としての「共謀」はそれなりに広い範囲で罰せられています。
共謀罪を創設する、ということは上記を超えた更に広い範囲で「共謀」を罰することを意味します。
この点、「もともと結構広い範囲で罰せられるから、多少拡張されても問題ない」と考えるか、「更に広範囲に罰せられると市民生活が圧迫される」と考えるかは諸論あると思います。

しかし、現状と共謀罪制定後を比較しなければ、共謀罪が実際に私たちに暮らしにどのように関わるかがわからず、冷静で有益な議論ができません。そのために、現行法を知るというのは1つの有力な道具となると考えられます。

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租税回避と課税当局の戦い

ロナウドらサッカーのスター選手が租税回避をしているとの報道が続いています。

10/26の記事にも書いた通り、租税回避は租税公平主義(等しき者には等しく課税・異なる者には異なる課税)と租税法律主義(租税を課すには事前に明確な法律で定める)が両立しない事態であり、イタチごっこのように個別に対処する法律を作って対処する必要があります。課税当局はかかる個別立法を待って課税していくのが基本です。

しかし、課税当局とは、個別立法を待つことに徹するほど甘い機関ではなく、様々な手法で立法によらずに租税回避に対処しようとします。そのような手法の1つが「法律問題を事実認定の領域に引き直す」ことによる対処です。

具体例で説明したほうがわかりやすいので、租税回避スキームをまず紹介します。
デベロッパーA社は、不動産賃貸業者B社所有の土地α(時価1億円)をマンション建設のためにどうしても取得する必要があったので、B社に同じく時価1億円の土地βを提供した上、土地αの賃貸ができなくなることの補償として現金3000万円を支払う、との条件で土地αの取得をB社に持ちかけ、B社は承諾しました。
ここでB社は土地αを昔1000万円で取得していたとします(これを取得費といいます)。

上の取引=Aの申出を「素直に」見れば、AとBは
①土地αと土地βを交換した上、
②AはBに3000万円の現金を支払った、
ということになります。
したがって、Bの収入は
土地β+3000万円=1億3000万円
となり、譲渡所得は、
収入−取得費=1億3000万円−1000万円=1億2000万円
になります。
そして税額は、
(1億2000万円−50万円)×20.315%≒2427万円
になります。
言い換えれば、「交換契約+プレミアム構成」であり、対価のバランスが取れた交換に、Bに土地を売ってもらうためのプレミアム3000万円をプラスした、という現実の取引実態通りの法律関係とそれに基づく課税となっています。そのため、これが通常の納税の姿ということになります

しかしBは税務申告のことを考えて上記取引を、
①BがAに土地αを1億円で売却し、
②AがBに土地βを7000万円で売却し、
③①と②の代金のうち7000万円を相殺し、
④差額の3000万円を現金でAがBに現金で支払って精算した、
という法形式を「選択した」ことにしし、Aとも示し合わせてそのような契約書を作成します。
言い換えれば、売買契約構成です。

そうするとBは
1億円で土地αを売却し、代金を土地βと現金3000万円で受け取った
ことになります。
したがって、譲渡所得における収入金額は1億円となり、
譲渡所得は、
収入−取得価格=1億円−1000万円=9000万円
となります。したがって、税額は
(9000万円ー50万円)×20.315%≒1818万円
になります。

つまり、通常の納税の姿より約600万円も税額が少なくなります。

課税当局としては、売買契約構成は「売買」と言いながら、②において、時価1億円であるはずの土地βを7000万円としており、売買の本質である「対価のバランス」が取れていない異常な取引であり、税負担の軽減目的以外に経済合理性が無い、租税回避行為と考えました。
ですから、何とか課税したいと考えます。

ここで、売買契約構成について
「売買契約ではあるが、実質的には交換契約+プレミアム取引なので、実質に則して収入を1億3000万円として課税する」
と言ってしまうと、所得税法には「売買契約を交換契約とみなしてよい」という規定は存在しませんので、租税法律主義に反してしまいます。したがって、このような実質論での課税はできません。

そこで、課税当局は知恵を絞ります。
実質論の課税が租税法律主義に反するのは、「売買契約である」という事実があるからです。逆に言えば「売買契約ではない」「交換契約であった」という事実があれば、交換契約に基づく課税をすることに何の問題もありません。

そして、課税の基礎となる事実(法律関係)は「仮装」(端的には嘘)であってはならず、「真実の事実(法律関係)」でなければなりません。上記売買契約構成においてA社は、土地βを時価より3000万円も低い価格で「売却」しています。A社が営利企業である以上、これは不合理極まりない行為です。
このことは結局のところ、上記取引では代金額はどうでもよく、Bに代替土地+現金3000万円が移転すればよい、とAもBも考えていたと「事実認定」できます。
そして、売買契約においては代金の額は本質的要素とされています(法律家がよく口にする「要件事実」の考え方です)。したがって、上記取引のように当事者双方が代金額に何の意味もないと考えている取引は、売買ではなく交換(+プレミアム)である、と「事実認定」した上で、「真実の事実(法律関係)」である交換契約に基づいて、課税する、ということにします。

これは租税「法律」主義があくまで「法律」問題(事実そのものでなく、事実の持つ「性質」の問題)を扱っていることから、そこでは勝負をせず、法律にあてはめる「事実」問題(性質の前提となる事実そのもの)で勝負をすることで、租税法律主義に反しない形で租税回避行為に対処しようとしたものです。言い換えれば、租税法律主義の縛りのある法律問題を、縛りがない事実認定の領域に引き直すという、非常に巧みな手法であり、これを認める地裁判決が出たこともあり、一時期課税当局が多用して一世を風靡しました。

しかし、後に高裁が上記のような手法を否定する判決を出します。

①当事者双方が「売買だ」と言っており、売買契約書もあるのに、「売買は仮装(=嘘)だ、売買という事実は存在しない」と認定するのは困難であり、「合理性がない」「税負担の軽減が目的だ」だけでは理由とならない、
②税負担軽減目的は通常の経済合理性のある目的である、
③当事者が選択した法形式を他の法形式に引き直すのは租税法律主義に反する、
等が理由です。

その後、法律問題を事実認定の問題に引き直す手法は下火になりました。
しかし、この手法が登場した一連の流れは、課税当局が必死で租税回避に対処しようとしている姿勢を如実に表しています。この問題について課税当局が諦めることは未来永劫無いと考えられます。
したがって、租税回避をしたい者(主に富裕層)と課税当局は、上記のように国内でも、記事のように国際関係においても、今後も熾烈に戦い続けることになります。

qoly.jp

賭博罪とカジノ

カジノを特区で解禁するか否かの議論が「経済効果vs依存症等の害悪懸念」という構図で論じられていますが、そもそも我が国で賭博はどのように扱われているか、という基本を抑えることは重要です。
賭博についての原則は刑法に定めがあり、
刑法185条「賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」
刑法186条「①常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。
②賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、三月以上五年以下の懲役に処する。」

 と定められています。①賭博をすることを禁じた上で、②常習者を更に重く罰し、③賭博場を設営した者を最も重く罰しています。

カジノはここで言う賭博場にあたり、本来は設営したものもカジノで遊んだ者も刑事罰を課されることになります。
賭博がなぜ犯罪とされるかについては、判例
「勤労その他正当な原因によるのではなく、単なる偶然の事情により財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害する」
と言っています。要するに賭け事を認めると働くことを軽視する人が増えて、社会が不安定になる、ということです。
しかし、すぐに分かる通り、我が国では賭博の禁止には多くの例外があります。例えば、競輪について

自転車競技法1条「都道府県及び・・・市町村・・・は、自転車その他の機械の改良及び輸出の振興、機械工業の合理化並びに体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に寄与するとともに、地方財政の健全化を図るため、この法律により、自転車競走を行うことができる。」

と定めており、①機械工業の合理化、②体育事業等の増進、③地方公共団体の財政健全化、という目的の下、賭博以外の何物でもない競輪を合法化しています(一般規定である刑法を特別規定である自転車競技法で修正しているということです)。
つまり、賭博は違法=社会的害悪であるとの原則を掲げつつ、経済効果目的のためには賭博を許容する、という発想自体は、我が国は古くから肯定しており(自転車競技法は昭和23年制定です)、カジノ法案ではじめて提起された発想というわけではありません。
したがって、カジノ法案の賛否の議論も、大上段に構える議論とは別に、我が国で長い歴史を持つ、競馬・競輪が現実に社会や地域にどのような影響を与え、どの程度経済効果を生んでいるか、という視点で考えることが非常に重要であると思われます。

家族と専従者控除−婚姻と税のややこしさ4

日本においては配偶者控除という税の問題と、企業が行う配偶者手当が何故か連動しているため、配偶者控除見直しの議論が出ると、記事のように企業の支払う給与にまで問題が波及します。

ところで、税が婚姻に配慮している制度はほかにもあり、配偶者控除の議論もそれら他の制度にも目配りして行う必要があります。その例の1つが専従者控除です。

専従者控除とは、典型的には事業所得、つまり個人で事業をやっている人を想定すると考えやすいと思います。
事業所得では、所得=収入−費用、で計算します。
そこで、家族の手伝いなしに収入4500万円、費用400万円で事業を行っている人(配偶者は主婦・主夫)がいたとします。当然所得は4100万円になります。
そうすると税額は累進税率と控除を考慮すると、
4100万円×45%−479万6000円=1365万4000円
となります。

ここで、その人が家族(多くの場合配偶者)を雇い、もともとの所得の半分強の1900万円を1年分の給与として支払ったとします。そうするとその分費用が増加するので所得は、
4500万円−400万円−1900万円=2200万円
になります。すると、累進税率等を考慮した税額は、
2200万円×40%−279万6000円=600万4000円
となります。
一方で給与をもらった配偶者は給与所得等を考えると税額は、
(1900万円−230万円)×33%−153万6000円=397万5000円
となります。
すると夫婦2人での納税額は、
600万4000円+397万5000円=997万9000円
となり、家族の手伝いなしに事業を行う人の家庭よりも家族の手伝いを受けた家庭の方が367万5000円も税額が低くなります。

家族が専業ではなく、実際に働きに出ている以上、上記の結果は別に不当ではない、と考えることもできます。
しかし、上記の計算からも明らかな通り、我が国は累進税率を採用しており(これが租税公平主義に基づくことは以前書きました)、所得金額が減ると税率そのものが低くなります。したがって、事業を行うにあたって配偶者への給与額を調整することにより、税率を低く抑えることが可能になります。それはやはり、家族の手伝いなしに事業を行っている人との比較では「公平」ではない、と考えられます。

そのため、所得税法は、

所得税法56条「居住者と生計を一にする配偶者その他の親族がその居住者の営む・・・事業に従事したこと・・・により当該事業から対価の支払を受ける場合には、その対価に相当する金額は・・・必要経費に算入しない・・・」

と定め、家族に対する給与は所得の計算上は原則として無視することとしています。

しかし、働く人がたまたま家族であるからといって、給与について全く税法上考慮しない、というのは逆に家族ないし婚姻に対する不当なペナルティになり、不公平とも考えられます。
その緩和のための制度として所得税法は「専従者控除」という制度を設けており、

所得税法57条3項「居住者・・・と生計を一にする配偶者その他の親族・・・で専らその居住者の営む前条に規定する事業に従事するもの・・・がある場合には、その居住者の・・・所得の金額の計算上、各事業専従者につき、次に掲げる金額のうちいずれか低い金額を必要経費とみなす。
一  次に掲げる事業専従者の区分に応じそれぞれ次に定める金額
イ その居住者の配偶者である事業専従者 八十六万円円・・・」

となっています。ちなみに、専従者控除はいわゆる青色申告者については更に拡張されています。

親族の給与の必要経費不算入と専従者控除制度は親族一般の規定であって、配偶者だけにかかわる制度ではありません。しかし、小規模事業者において夫婦で働いている例はかなり多く、我が国の実情では、これらの制度が婚姻と密接に関わっていることは否定できません。

つまり、税と婚姻のややこしさを調整する制度は配偶者控除だけではないのであり、専従者控除制度等その他の制度も横目で見ながら配偶者控除制度の議論をする必要があることになります。

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共謀や共犯とは一体何か?

暴力団犯罪に限らず、複数の人が関与する犯罪について、容疑者が「共謀を否認している」という報道がなされていることはよくあります。この報道から事件や犯人相互の関係性等を想像するには、そもそも「共犯とは一体何か?」を知ることが有用です。

刑法は「共犯」の表題の下、60条から65条まで6つの条文を規定しています。つまり、複数名による犯罪について、わざわざ表題を付けて特別の条文を設けていることになりますので、刑法はいわゆる「単独犯」を犯罪の基本形態として定めていることがわかります。

このことは、例えば殺人罪を想定するとわかりやすいと思います。つまり、ナイフで被害者を刺すことが殺人の実行行為であり、刺した人が犯人だ、ということを殺人罪の典型・原則として刑法は想定している、ということです。

しかし、例えば2人組が被害者に因縁をつけて、代わる代わる刺したが、その内1人の刺し傷が致命傷になった、という場合に、致命傷を与えなかった方の犯人が殺人罪としては処罰されない、というのはどう考えても正義に反しますし、犯罪抑止という刑法の目的にも反します。このことを突き詰めると、どちらの刺し傷が致命傷かわからない(立証できない)場合には、無罪という結論にならざるを得ないことになり、不合理さは更に増します。

このような事態に対処するため特別に設けられたのが、共犯に関する規定、ということになります。

共犯の内、共同正犯については、

刑法60条「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」

と規定されています。
これは実行行為者(刺した人)に犯行をそそのかした「教唆犯」や、犯行を助けた「幇助犯」ではなく、実行行為者と「共同して実行した」場合には、その者については実行行為者と同じく「正犯」として、重く罰する、ということを定めています。

ここて重要なことは、共同「正犯」である以上、規定上刑が軽減される「幇助犯」はもちろん、規定上は刑は軽減されない教唆犯よりも、共同正犯は責任が重い、ということです。

しかし、問題はその先にあります。文言上「『共同して』実行した者」となっているため、刺殺の実行行為者にダガーナイフを渡した者のように、殺す行為=実行行為そのものを共同していない(分担していない)者を処罰できるのか?という疑問が生ずるのです。

もちろん、ダガーナイフを渡した者は殺人を助けたことになるので、幇助犯として処罰することも考えられますが、幇助犯の刑は正犯より軽くなってしまいます。

更に、記事のように組長が組員に殺害を命じた場合や、殺害を2人で綿密に計画したが、言い換えれば「共謀」したが、殺害行為は1人でやった場合は、教唆犯にはなり得ますが、犯罪の実態・組長と組員の関係・殺害計画の重要性などから、「正犯でない」=責任が軽い、とするのはいかにも正義に反し、犯罪抑止という刑法の目的にも反します。

そのため、判例や学説は理論構成は様々ですが、「共同して実行した」と言えるために実行行為の分担は必要ではなく、その犯罪の実現にとって重大な意味を持つ行為をした者には正犯としての責任を問うという「法解釈」を行っています。これを共謀共同正犯と言います。
この解釈により妥当な処罰を実現しているのです。

記事のような場合、組長は殺害行為には一切タッチしていません。しかし、組長が組員に命令したとすれば、親分の命令が絶対である暴力団においては、殺害を決定づけるほどに重要な意味を持つ行為をしたと言え、殺人の(共同)「正犯」として罰せられることになります。

したがって、組長が組員に命令したか?つまり共謀があったか否かが組長を処罰する上で、極めて重要な事実となります。そのため、共謀を認めているか否認しているかが、報道されるのです。

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