逮捕・捜索されなければいいのか?−法務省見解の意味するところ
捜査機関(警察や検察)が「捜査」活動が出来る場面については刑事訴訟法(下記では「刑訴法」と略します)に定めがあり、
刑訴法198条2項「司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。」
とされています。つまり、「犯罪がある」と捜査機関が考えた場合に「捜査」ができることになります。逆に言えば「犯罪が起こりそう」と捜査機関は考えるが「まだ起こっていない」段階では「捜査」はできません。
そして、国家が国民の身柄を捕まえる(=逮捕)、住居等に踏み込んで証拠を探す(捜索・差押え)は「捜査」活動としてのみ刑訴法で認められています(刑訴法199条等)。
まとめれば、「犯罪」が「既に起こった」場合しか警察等は、逮捕・捜索等を行うことができないことになります。
そして、犯罪とは「構成要件に該当し」違法で有責な行為を意味します。
ここで、共謀罪の政府原案では、
「・・・共謀した者は、その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合において、当該各号に定める刑に処する。」
とされているようです。
上記条文からは「共謀」しただけでは処罰されず、共謀された犯罪について「犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合」にのみ処罰されることが読み取れます。
これを「構成要件」という視点から見ると、「共謀」は単体では犯罪ではなく、共謀された犯罪(本体となる犯罪)の実行に必要な「準備その他の行為」がなされた場合に、遡って共謀も「犯罪」として成立する、と読むのが素直です。
つまり、「準備行為等」は「共謀罪」の構成要件ということになります。
したがって、「共謀」が行われても準備行為がまだされていない段階(これを法務省は「犯罪を合意しただけでは」と表現します)では、(準備行為等という)構成要件が充足されていないので、犯罪としては成立しておらず、捜査機関は「捜査」することができない。したがって、逮捕も捜索もできない、ということになります。
法務省が「見解」として述べているのはこのことです。
更に、共謀罪の条文以前の問題にも頭に入れておくべきです。
警職法2条1項「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知つていると認められる者を停止させて質問することができる。」
とされています。この規定に基づいて、酔っ払って街をフラフラしていて「職務質問」を受けたり、夜に自動車検問が行われていたりする訳です。
更に、あくまで「任意」であれば警察等は共謀をした者を警職法2条に基づき、警察署等に呼んで話を聞くこともできます。いわゆる「任意同行」です。
「任意」なのですから、断ることも出来ますが、我が国では「警察から呼ばれて行かないのはやましいことがあるからだ」という意識が強く、任意同行を断ると社会的非難すらあり得ますので、現実には「任意同行だから、市民の自由を制限しない」とは言いにくい面があります。
また、いわゆる通信傍受法は、
通信傍受法3条「検察官又は司法警察員は・・・犯罪・・・の実行、準備・・・相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する事項を内容とする通信・・・が行われると疑うに足りる状況があり・・・」
と定めています。
共謀が行われれば、さらなる謀議のため電話等が行われると「疑うに足りる状況」が発生する場合もかなり多いと考えられます。したがって、やはり本体犯罪の準備が未着手でも、共謀があれば通信傍受が許容される場合も多いことになります。
つまり、警察等は、共謀(=犯罪の合意)だけで逮捕・捜索はできなくても、共謀罪を「取っ掛かり」に任意同行や通信傍受等様々な手段を用いることが可能ということになります。
また、逮捕・捜索が出来ないからと言って、捜査機関が何もできないわけでなく、市民生活に影響が出ないわけでもありません。
共謀罪の是非についての議論は、上記のような他の法律の仕組みも前提にしながら、実際の運用イメージを描き、市民生活への影響を考え、テロ防止等にどの程度役立つのかを具体的に考えるものでなければならないと考えられます。