租税回避と課税当局の戦い
ロナウドらサッカーのスター選手が租税回避をしているとの報道が続いています。
10/26の記事にも書いた通り、租税回避は租税公平主義(等しき者には等しく課税・異なる者には異なる課税)と租税法律主義(租税を課すには事前に明確な法律で定める)が両立しない事態であり、イタチごっこのように個別に対処する法律を作って対処する必要があります。課税当局はかかる個別立法を待って課税していくのが基本です。
しかし、課税当局とは、個別立法を待つことに徹するほど甘い機関ではなく、様々な手法で立法によらずに租税回避に対処しようとします。そのような手法の1つが「法律問題を事実認定の領域に引き直す」ことによる対処です。
具体例で説明したほうがわかりやすいので、租税回避スキームをまず紹介します。
デベロッパーA社は、不動産賃貸業者B社所有の土地α(時価1億円)をマンション建設のためにどうしても取得する必要があったので、B社に同じく時価1億円の土地βを提供した上、土地αの賃貸ができなくなることの補償として現金3000万円を支払う、との条件で土地αの取得をB社に持ちかけ、B社は承諾しました。
ここでB社は土地αを昔1000万円で取得していたとします(これを取得費といいます)。
上の取引=Aの申出を「素直に」見れば、AとBは
①土地αと土地βを交換した上、
②AはBに3000万円の現金を支払った、
ということになります。
したがって、Bの収入は
土地β+3000万円=1億3000万円
となり、譲渡所得は、
収入−取得費=1億3000万円−1000万円=1億2000万円
になります。
そして税額は、
(1億2000万円−50万円)×20.315%≒2427万円
になります。
言い換えれば、「交換契約+プレミアム構成」であり、対価のバランスが取れた交換に、Bに土地を売ってもらうためのプレミアム3000万円をプラスした、という現実の取引実態通りの法律関係とそれに基づく課税となっています。そのため、これが通常の納税の姿ということになります
しかしBは税務申告のことを考えて上記取引を、
①BがAに土地αを1億円で売却し、
②AがBに土地βを7000万円で売却し、
③①と②の代金のうち7000万円を相殺し、
④差額の3000万円を現金でAがBに現金で支払って精算した、
という法形式を「選択した」ことにしし、Aとも示し合わせてそのような契約書を作成します。
言い換えれば、売買契約構成です。
そうするとBは
1億円で土地αを売却し、代金を土地βと現金3000万円で受け取った
ことになります。
したがって、譲渡所得における収入金額は1億円となり、
譲渡所得は、
収入−取得価格=1億円−1000万円=9000万円
となります。したがって、税額は
(9000万円ー50万円)×20.315%≒1818万円
になります。
つまり、通常の納税の姿より約600万円も税額が少なくなります。
課税当局としては、売買契約構成は「売買」と言いながら、②において、時価1億円であるはずの土地βを7000万円としており、売買の本質である「対価のバランス」が取れていない異常な取引であり、税負担の軽減目的以外に経済合理性が無い、租税回避行為と考えました。
ですから、何とか課税したいと考えます。
ここで、売買契約構成について
「売買契約ではあるが、実質的には交換契約+プレミアム取引なので、実質に則して収入を1億3000万円として課税する」
と言ってしまうと、所得税法には「売買契約を交換契約とみなしてよい」という規定は存在しませんので、租税法律主義に反してしまいます。したがって、このような実質論での課税はできません。
そこで、課税当局は知恵を絞ります。
実質論の課税が租税法律主義に反するのは、「売買契約である」という事実があるからです。逆に言えば「売買契約ではない」「交換契約であった」という事実があれば、交換契約に基づく課税をすることに何の問題もありません。
そして、課税の基礎となる事実(法律関係)は「仮装」(端的には嘘)であってはならず、「真実の事実(法律関係)」でなければなりません。上記売買契約構成においてA社は、土地βを時価より3000万円も低い価格で「売却」しています。A社が営利企業である以上、これは不合理極まりない行為です。
このことは結局のところ、上記取引では代金額はどうでもよく、Bに代替土地+現金3000万円が移転すればよい、とAもBも考えていたと「事実認定」できます。
そして、売買契約においては代金の額は本質的要素とされています(法律家がよく口にする「要件事実」の考え方です)。したがって、上記取引のように当事者双方が代金額に何の意味もないと考えている取引は、売買ではなく交換(+プレミアム)である、と「事実認定」した上で、「真実の事実(法律関係)」である交換契約に基づいて、課税する、ということにします。
これは租税「法律」主義があくまで「法律」問題(事実そのものでなく、事実の持つ「性質」の問題)を扱っていることから、そこでは勝負をせず、法律にあてはめる「事実」問題(性質の前提となる事実そのもの)で勝負をすることで、租税法律主義に反しない形で租税回避行為に対処しようとしたものです。言い換えれば、租税法律主義の縛りのある法律問題を、縛りがない事実認定の領域に引き直すという、非常に巧みな手法であり、これを認める地裁判決が出たこともあり、一時期課税当局が多用して一世を風靡しました。
しかし、後に高裁が上記のような手法を否定する判決を出します。
①当事者双方が「売買だ」と言っており、売買契約書もあるのに、「売買は仮装(=嘘)だ、売買という事実は存在しない」と認定するのは困難であり、「合理性がない」「税負担の軽減が目的だ」だけでは理由とならない、
②税負担軽減目的は通常の経済合理性のある目的である、
③当事者が選択した法形式を他の法形式に引き直すのは租税法律主義に反する、
等が理由です。
その後、法律問題を事実認定の問題に引き直す手法は下火になりました。
しかし、この手法が登場した一連の流れは、課税当局が必死で租税回避に対処しようとしている姿勢を如実に表しています。この問題について課税当局が諦めることは未来永劫無いと考えられます。
したがって、租税回避をしたい者(主に富裕層)と課税当局は、上記のように国内でも、記事のように国際関係においても、今後も熾烈に戦い続けることになります。
賭博罪とカジノ
家族と専従者控除−婚姻と税のややこしさ4
日本においては配偶者控除という税の問題と、企業が行う配偶者手当が何故か連動しているため、配偶者控除見直しの議論が出ると、記事のように企業の支払う給与にまで問題が波及します。
ところで、税が婚姻に配慮している制度はほかにもあり、配偶者控除の議論もそれら他の制度にも目配りして行う必要があります。その例の1つが専従者控除です。
専従者控除とは、典型的には事業所得、つまり個人で事業をやっている人を想定すると考えやすいと思います。
事業所得では、所得=収入−費用、で計算します。
そこで、家族の手伝いなしに収入4500万円、費用400万円で事業を行っている人(配偶者は主婦・主夫)がいたとします。当然所得は4100万円になります。
そうすると税額は累進税率と控除を考慮すると、
4100万円×45%−479万6000円=1365万4000円
となります。
ここで、その人が家族(多くの場合配偶者)を雇い、もともとの所得の半分強の1900万円を1年分の給与として支払ったとします。そうするとその分費用が増加するので所得は、
4500万円−400万円−1900万円=2200万円
になります。すると、累進税率等を考慮した税額は、
2200万円×40%−279万6000円=600万4000円
となります。
一方で給与をもらった配偶者は給与所得等を考えると税額は、
(1900万円−230万円)×33%−153万6000円=397万5000円
となります。
すると夫婦2人での納税額は、
600万4000円+397万5000円=997万9000円
となり、家族の手伝いなしに事業を行う人の家庭よりも家族の手伝いを受けた家庭の方が367万5000円も税額が低くなります。
家族が専業ではなく、実際に働きに出ている以上、上記の結果は別に不当ではない、と考えることもできます。
しかし、上記の計算からも明らかな通り、我が国は累進税率を採用しており(これが租税公平主義に基づくことは以前書きました)、所得金額が減ると税率そのものが低くなります。したがって、事業を行うにあたって配偶者への給与額を調整することにより、税率を低く抑えることが可能になります。それはやはり、家族の手伝いなしに事業を行っている人との比較では「公平」ではない、と考えられます。
そのため、所得税法は、
所得税法56条「居住者と生計を一にする配偶者その他の親族がその居住者の営む・・・事業に従事したこと・・・により当該事業から対価の支払を受ける場合には、その対価に相当する金額は・・・必要経費に算入しない・・・」
と定め、家族に対する給与は所得の計算上は原則として無視することとしています。
しかし、働く人がたまたま家族であるからといって、給与について全く税法上考慮しない、というのは逆に家族ないし婚姻に対する不当なペナルティになり、不公平とも考えられます。
その緩和のための制度として所得税法は「専従者控除」という制度を設けており、
所得税法57条3項「居住者・・・と生計を一にする配偶者その他の親族・・・で専らその居住者の営む前条に規定する事業に従事するもの・・・がある場合には、その居住者の・・・所得の金額の計算上、各事業専従者につき、次に掲げる金額のうちいずれか低い金額を必要経費とみなす。
一 次に掲げる事業専従者の区分に応じそれぞれ次に定める金額
イ その居住者の配偶者である事業専従者 八十六万円円・・・」
となっています。ちなみに、専従者控除はいわゆる青色申告者については更に拡張されています。
親族の給与の必要経費不算入と専従者控除制度は親族一般の規定であって、配偶者だけにかかわる制度ではありません。しかし、小規模事業者において夫婦で働いている例はかなり多く、我が国の実情では、これらの制度が婚姻と密接に関わっていることは否定できません。
つまり、税と婚姻のややこしさを調整する制度は配偶者控除だけではないのであり、専従者控除制度等その他の制度も横目で見ながら配偶者控除制度の議論をする必要があることになります。
共謀や共犯とは一体何か?
暴力団犯罪に限らず、複数の人が関与する犯罪について、容疑者が「共謀を否認している」という報道がなされていることはよくあります。この報道から事件や犯人相互の関係性等を想像するには、そもそも「共犯とは一体何か?」を知ることが有用です。
刑法は「共犯」の表題の下、60条から65条まで6つの条文を規定しています。つまり、複数名による犯罪について、わざわざ表題を付けて特別の条文を設けていることになりますので、刑法はいわゆる「単独犯」を犯罪の基本形態として定めていることがわかります。
このことは、例えば殺人罪を想定するとわかりやすいと思います。つまり、ナイフで被害者を刺すことが殺人の実行行為であり、刺した人が犯人だ、ということを殺人罪の典型・原則として刑法は想定している、ということです。
しかし、例えば2人組が被害者に因縁をつけて、代わる代わる刺したが、その内1人の刺し傷が致命傷になった、という場合に、致命傷を与えなかった方の犯人が殺人罪としては処罰されない、というのはどう考えても正義に反しますし、犯罪抑止という刑法の目的にも反します。このことを突き詰めると、どちらの刺し傷が致命傷かわからない(立証できない)場合には、無罪という結論にならざるを得ないことになり、不合理さは更に増します。
このような事態に対処するため特別に設けられたのが、共犯に関する規定、ということになります。
共犯の内、共同正犯については、
刑法60条「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」
と規定されています。
これは実行行為者(刺した人)に犯行をそそのかした「教唆犯」や、犯行を助けた「幇助犯」ではなく、実行行為者と「共同して実行した」場合には、その者については実行行為者と同じく「正犯」として、重く罰する、ということを定めています。
ここて重要なことは、共同「正犯」である以上、規定上刑が軽減される「幇助犯」はもちろん、規定上は刑は軽減されない教唆犯よりも、共同正犯は責任が重い、ということです。
しかし、問題はその先にあります。文言上「『共同して』実行した者」となっているため、刺殺の実行行為者にダガーナイフを渡した者のように、殺す行為=実行行為そのものを共同していない(分担していない)者を処罰できるのか?という疑問が生ずるのです。
もちろん、ダガーナイフを渡した者は殺人を助けたことになるので、幇助犯として処罰することも考えられますが、幇助犯の刑は正犯より軽くなってしまいます。
更に、記事のように組長が組員に殺害を命じた場合や、殺害を2人で綿密に計画したが、言い換えれば「共謀」したが、殺害行為は1人でやった場合は、教唆犯にはなり得ますが、犯罪の実態・組長と組員の関係・殺害計画の重要性などから、「正犯でない」=責任が軽い、とするのはいかにも正義に反し、犯罪抑止という刑法の目的にも反します。
そのため、判例や学説は理論構成は様々ですが、「共同して実行した」と言えるために実行行為の分担は必要ではなく、その犯罪の実現にとって重大な意味を持つ行為をした者には正犯としての責任を問うという「法解釈」を行っています。これを共謀共同正犯と言います。
この解釈により妥当な処罰を実現しているのです。
記事のような場合、組長は殺害行為には一切タッチしていません。しかし、組長が組員に命令したとすれば、親分の命令が絶対である暴力団においては、殺害を決定づけるほどに重要な意味を持つ行為をしたと言え、殺人の(共同)「正犯」として罰せられることになります。
したがって、組長が組員に命令したか?つまり共謀があったか否かが組長を処罰する上で、極めて重要な事実となります。そのため、共謀を認めているか否認しているかが、報道されるのです。
租税回避への対処法
所得税法157条1項「税務署長は、次に掲げる法人の行為又は計算で、これを容認した場合にはその株主等である居住者・・・の所得税の負担を不当に減少させる結果となると認められるものがあるときは・・・その行為又は計算にかかわらず、税務署長の認めるところにより、・・・に掲げる金額を計算することができる。一 ・・・同族会社」
つまり、(Xとの間で同族会社と言える)A社の介在により税負担が不当に減少していると認められれば、A社との取引(=行為・計算)が無かったこととして(=否認して)課税できる、すなわち普通のビル賃貸が行われた場合と同様の課税をすることができる、ことを定めているのです。
所得税法157条は上記のように租税回避の内、「同族会社を使った」類型の「一部」について「行為計算の否認」という手法で対処したものです。
外国での犯罪を処罰できるか
国際間の移動が容易になったことから、記事のように外国人が日本で犯罪を犯して、すぐ出国し母国に帰るという事態は増えてきています。
その場合に犯罪地の国が相手国に求める対応は大きく分けて①身柄の引渡し、②代理処罰の2つです。
身柄引渡しは犯人を国内に連れてきて裁判を受けさせ、処罰するということであり、引渡しが行われれば、問題は少ないと言えます。ただ、犯罪人引渡条約を結んでいない限り、引き渡されることはほとんどありません。そして、日本はアメリカと韓国としか犯罪人引渡条約を結んでいません。
引渡しを拒否された場合には、「相手国において相手国の法律に従って処罰を受けさせる」つまり代理処罰を相手国に求めることになりますが、これには大きな問題があります。つまり、代理処罰を求められた国は他国での犯罪を自国の法律で処罰できるか?という点をクリアしなければならないのです。
私は外国法はわかりませんので、日本が代理処罰を求められた場合に引き直して説明します。
犯罪に対する処罰を定めている法律、つまり刑法は冒頭で、
刑法1条「①この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」
と規定し、刑法が適用される対象は「日本国内での犯罪」であるとの原則を定めていることになります(これを「属地主義」と言います。)
しかし、属地主義には重大な例外がいくつか定められています。まず、
刑法3条「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する。(列挙罪名略)」
として、「犯罪地がどこであろうと日本人が犯せば」日本国内で処罰できる罪を列挙しており、殺人罪罪、現住建造物放火等の重罪がこれにあたるとされます。
また、
刑法4条「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国の公務員に適用する。(列挙罪名略)」
とし、「犯罪地がどこであろうと日本国の公務員が犯せば」日本国内で処罰できる罪を列挙しており、収賄罪や公務員職権濫用罪等のいわゆる公務員犯罪がこれにあたるとされています。
逆に、
刑法3条の2「この法律は、日本国外において日本国民に対して次に掲げる罪を犯した日本国民以外の者に適用する。」
とし、「犯罪地がどこであろうと犯人が外国人であろうと被害者が日本人ならば」日本国内で処罰できる罪を列挙しており、殺人罪や強姦・強制わいせつ罪、強盗罪等の生命・身体に害を及ぼす犯罪等がこれにあたるとされています。
そして、
刑法2条「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯したすべての者に適用する。」
として、「犯罪地がどこであろうと犯人の国籍や被害者が日本人かどうかを問わず」日本国内で処罰できる犯罪を列挙しており、内乱罪関係、通貨偽造罪、公文書偽造罪等がこれにあたるとされています。
その他、条約により属地主義に対する例外が定められている場合もあります。
このように大きな例外がありつつも、外国で犯された犯罪の全てが日本国内で処罰できるわけではありません。立場を変えれば、日本での犯罪が相手国で処罰できるとは限らないことになります。
このように、外国籍の犯罪者が国外に逃亡してしまうと、処罰できる範囲が限られる場合があることから、ニュースにもなるような社会問題になるということです。
もっとも、今回の記事の件は殺人という重罪であり、しかも刑罰が一般に日本より厳しいと思われる中国が相手国であり、問題となっている容疑者が「逃げ得」になる可能性は低いかもしれません。
事実はなかなかわからない
高畑氏の件では、当初報道・弁護人の声明・後追い報道数種、と色々なことが報道されています。
このことは、私たち弁護士などの法曹の考え方の一端を説明するのにとても示唆的です。つまり、「事実はなかなかわからない」ということです。
司法試験に受かると、約一年間「司法修習」という一種の研修があり、裁判官・検察官・弁護士のそれぞれの実務を学びます。その後に通称2回試験と呼ばれる試験があり、合格してはじめて裁判官や弁護士として活動できます。
その司法修習での大きな課題・学びが「事実認定」です。つまり、「何が事実なのか?」を考える専門的な訓練を受けて、テストされるのです。
タイムマシンが無い以上、社会で起こった出来事・事実について、後から「何が起こったか?」を確定することは、事件の痕跡である①証拠と②証拠からの推理によるしかありません。
そして、普段人は証拠を残して行動しようとは思ってないので、証拠は断片的にならざるを得ません。断片的なので、その間をつなぐのは結局推理でしかなく、確実な真実に行き着くことはかなり難しい作業です。
例えば、高畑氏の件でホテルの廊下から部屋に入って行く映像が残っていたとしても(そのような映像があるかどうかはわかりませんが)、その前後の様子もわからず、音声も残っていない状態では、それが無理矢理連れ込んでいるのか、仲良く入っていくのかを確定することは困難を極めます。他の事実や証拠を併せ考えて認定していくことになりますが、その証拠もまた断片的にしかないことがほとんどです。
その上、民事の離婚事件等で顕著になることが多いのですが、まったく同じ事実を見ていても、夫が見た風景、妻が見た風景、子供が見た風景がそれぞれに異なり、しかもそれぞれは嘘をついている訳ではないことがママあります。合意があったか否かに争いがある性犯罪についても起こり得る事態です。
それぞれが嘘をついていないので、その他の証拠もそれぞれの話に矛盾するとまで言えない可能性も高く、やはり事実認定はとても難しいことになります。
また、証拠が玉石混淆であることも事実認定を複雑にします。
例えば、高畑氏の件で「歯ブラシを持ってくるよう言った」との報道がありましたが、それが①高畑氏の供述なのか、②女性の供述なのか、③それ以外の第三者の又聞き供述なのか、によって、その事実があった、と認定できる確実性は大きく異なります。
つまり、その証拠がどこまで信用できて、どこまでの事実を、どの程度推理できるかの判断も、事実認定には必要と言うことになります。
上記のような難しさが事実認定にはあるため、事実認定の専門的な訓練を受けた私たち法曹は「何があったのか」ということについては、一般の人より慎重に考えることになります。