法律の「趣旨」の考え方−ゲス極川谷氏を題材に
同法2条「満二十年に至らざる者が其の飲用に供する目的を以て所有又は所持する酒類及其の器具は行政の処分を以て之を没収し又は廃棄其の他の必要なる処置を為さしむることを得」
同法3条「②第一条第二項の規定に違反したる者は科料に処す」
同条「①第一条第三項の規定に違反したる者は五十万円以下の罰金に処す」
租税回避の何が問題か?
パナマ文書の発見により、租税回避地(タックス・ヘイブン)を利用した、不当な税金逃れが問題となっています。しかしそもそも、「租税回避」と「脱税」はどう違うのか?脱税ではないのに何が問題なのか?等、基本的事項ついては意外と知られていません。
まず、税法の適用や運用にあたって、税法の2大原則とすら言えるほどに超重要な原則があります。それが、①租税法律主義と②租税公平主義です。
租税法律主義とは、憲法に定めがあり
憲法84条「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」
と定められています。
要するに、国民から税金を徴収するには、国会で、ⅰ)どのような財産・収入について、ⅱ)具体的な額・税率で、ⅲ)どのような手続きで徴収するか等を明確に決めることが求められています。
国家が国民の大事な財産・収入を国家権力を使って、その一部を支払わせるのですから、国会ではっきり決めておきましょう、ということです。
租税公平主義も平等原則という形で憲法に定めがあり、
憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(2項以下略)」
と定められています。
ただ、租税に引きなおす場合には、9/26の記事で説明した「担税力」すなわち、税金を支払う能力を平等原則に組み込まなければなりません。
したがって、租税公平主義とは、同じ担税力を持つ者には同じ税負担を課し、異なる担税力を持つ者には異なる税負担を課すべきである、ということを意味します。
この2つの原則は具体的な場面では、対立・緊張関係にあるため、租税法の解釈というのは、極論すればどこまでいっても上記の①租税法律主義と②租税公平主義をどのように両立させるべきか?両立しないとすれば、なるべく相反しないようにするにはどうすればよいか?を考える営みです。
さて、租税回避とは、取引の自由=取引の法形式等の選択の自由を利用して、取引上の合理性の観点(言い換えれば、税金を考えない場合の経済的な損得)からは何の合理的な理由が無いのに、普通は使われない異常な法形式を用いることで、法律の定める課税の要件にあたることを「回避」して税負担を軽くしつつ、本来の経済的目的達成する、という行為のことをいいます。
例えば、下記記事のタックスヘイブンを利用した取引では、日本企業である自分の持っている特許を、日本でのみ営業・生産活動を行う日本企業にライセンスしているにも関わらず、ライセンス料の支払先を、特許使用料の税率がとても低いケイマン諸島に作った全く実体のない会社にすることによって、日本での課税から逃れ、税率の低いケイマンで納税し、税負担を軽減しているのです。
「脱税」は事実そのものを隠したり虚偽を言ったりして、法律の要件にあたらないように振る舞うことですが、租税回避では嘘はついておらず、したがって法律違反は全く無い点が大きく異なります。
言い換えれば、法律に従った行為である以上、租税回避を行った者を罰することはもちろん、適正な税金を徴収することも出来ない点が、大きな問題です。
普通に、日本で営業・生産する日本企業にライセンスし、ライセンス料は自分が日本の銀行に持っている口座に振り込んでもらった(日本)企業は、高い税率である日本で、高い税金を収めるのですから、上記の異常な形式をとった=租税回避を行った会社との間で「不公平」が生じているのは明らかです。
つまり、租税回避の問題とは、「法律通り」の課税では、日本企業が支払先だけケイマンのペーパーカンパニーにするというような「異常な」取引をした者が、「普通の」取引をした者より税金を安くできる、という不「公平」が生じる、という問題です。言い換えれば、租税の2大原則である①租税法律主義と②租税公平主義がまともに衝突し、両立しない場面ということになります。
2大原則が両立しないということは、簡単に解決する制度は存在しない一方で、解決しないと税収が減り、税への信頼が低下し、税制そのものが崩壊しかねず、解決の必要が高いことを意味します。
そのために用意されている制度については、別の機会に書くことにします。
暴力団は財産を持てるか?−権利能力と法人制度
「組長に使用者責任を認めた」と聞くと「『組』以外に組長の責任も認めたんだ!」と思う人がいますが、実は違います。
まず、「責任を認める」とは要するに損害賠償金を支払う「義務」がある、ということです。「義務がある」という以上、何らかの財産を持っていて、義務を果たさなかったら、権利者(下の事案では詐欺被害者)はその財産を差し押さえて、強制的に支払ってもらうという制度が必要です。例えば、犬に噛まれて犬を訴えて、犬に支払い命令(義務)が出ても、犬は財産を持てず、権利者は支払わせることはできません。
つまり、「義務を負担する」及びその反面として「権利を持てる」というための、「資格」が必要ということになります。法的には「権利能力」といいます。
まず、人間に権利能力があるのは当たり前です。赤ちゃんであっても、親戚が亡くなって財産を相続すれば財産を持てるように、人間であれば、人間であるという理由だけで、権利能力があり、財産を持てたり(権利)、何かの支払い「義務」を負担できたりします。
次に、人間以外に権利能力が認められるか?言い換えれば、人間以外が財産を持てたり、支払義務を負ったりするか?ということが問題になります。
それを可能にするための制度が「法人」という制度です。「法人」とは「法によって人格をもったもの」という意味で、人間ではないけれども、権利能力を認めるために、法律が(人為的に)作った権利能力が認められる存在ということになります。
例えば、株主という人の集合に権利能力を与えたのが、「株式会社」であり、誰かが寄付等した財産そのものに権利能力を与えたのが「財団法人」(美術館の運営主体等に多い)です。
なぜ、法人という制度を作らなければならないか?、なぜ法人という制度が認められるのか?については、法律学で中々深遠な議論があります。しかし、端的に言ってしまえば「便利」であり、「社会的に有益」だから、法人という制度を作らなければならないし、便利で有益だから制度として認められると言えます。
例えば株式会社は、多数の人が少しずつお金を出し合って、大きな取引主体を作り、他方で倒産したときの株主のリスクを出資の限度(要するに株が紙切れになるだけ)にとどめることで大きな取引主体を作りやすくなるという意味で「便利」であり、大きな取引主体ができると国の経済発展に資するという意味で「社会的に有益」だから、制度として必要であり、認められるのです。
さて、このことを暴力団についてあてはめてみるとどうなるでしょう。
暴力団は基本的に徒党を組んで、集団による有形力(暴力)や威勢を力の源泉としており、「暴力団員にとって便利」であるとは言えるかもしれません。
しかし、暴力団の存在が「社会的に有益」とは到底言えません。したがって、暴力団は「法人」として認められる存在ではなく、実際にも暴力団の法人化を認める法律はありません。
つまり、暴力団は一種の「個人事業」であり、組長の別名が「◯◯組」となる、屋号に近いイメージの存在です。そうすると、暴力団「◯◯組」の財産は、法的には組長である××の(個人)財産ということになります。
したがって、組長に責任が認められないとすると、実際に手を下した(多くは末端の)組員のみが責任を負担することになります。組員個人は権利能力はありますが、多くの場合現実にはあまり財産を持っていません。そうすると、被害者が賠償金をとることは事実上できなくなり、従来は、被害者は泣き寝入りを強いられることがほとんどでした。
「組長の責任が認められる」ということは、(法的には組長の個人資産である)「組の財産」を賠償金支払の原資にできることになり、被害者救済の点では非常に大きな意義を持ちます。
そのために、記事にもある通り、暴対法が改正されて末端組員の不法行為の「使用者責任」を組長に負わせることが法的に認められることになったということになります。
婚姻と税のややこしい関係−その2
配偶者控除から夫婦控除へという流れのようですが、以前にも書いた通り婚姻と税はややこしい関係にあります。前回は婚姻するかしないかに着目してややこしさを説明しましたが、今回は「担税力」との関係を少し説明します。
担税力とは税法のキー概念の1つであり、要するに個人の「税を払う能力」のことを指します。例えば、収入が20万円で生活費に10万円かかる人より、収入が30万円で生活費に15万円かかる人の方が手元に残るお金は多いので、担税力が高いと評価されます。
担税力が高い分だけ多くの税を支払わせるのが、「公平」なので、前者では税率は10%(10万円×1%=1万円)だが、後者では税率は15%(15万円×15%=2万2500円)にしよう、というように考えます(これが累進課税の基本的な考え方です)。
婚姻と担税力の関係については、オルドマン=テンプルの法則と呼ばれる議論があります。これは、
第1に、共稼ぎ夫婦は同じ世帯所得の片稼ぎ夫婦に比べ、保育園費用等のコストや時間の犠牲があるため、担税力は小さい(これがいわゆる「内助の功」の議論の一端です)。
第2に、例えば、独身者は自分ひとりのためにバスタブ一杯にお湯をためますが、夫婦であれば1度ためたお湯に2人がつかるように、夫婦は共同生活上の「規模の利益」があります。したがって、共稼ぎ夫婦は合算して同額の収入がある独身者2人分よりも担税力があります。
第3に、第2とは逆に、例えば夫婦では布団が2つ必要であるように、独身者1人ではかからない、夫婦生活上の経費がかかります。したがって、片稼ぎ夫婦は、同じ所得の独身者と担税力は同じか低くなります。
以上をまとめると(世帯収入が1000万円とします)、
独身者(1000万)≧片稼ぎ夫婦(1000万,0)>共稼ぎ夫婦(500万,500万)>独身(500万)+独身(500万)
の順に担税力があることになります。
上記のオルドマン=テンプルの法則の妥当性、特に内助の功の評価の仕方、や、前回書いた税制と婚姻中立性の問題等が複雑に入り交じるのが、婚姻と税の関係のややこしさです。
そのため、決め手になるような制度は無く、時代背景、国家財政、目指すべき社会像等によって、配偶者控除、夫婦控除、扶養控除等を組み合わせて、制度を構築していかなければならず、かつ、それは不変ではあり得ないことになります。
キセル乗車の悩ましさ
刑法246条「①人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
②前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。」
リーガルリサーチのITリテラシー
現在、リーガルリサーチをするにあたり、電子データベースの利用は必須というか不可避です。
リーガルリサーチに理論は必要か?-判例検索を題材に
判例検索の手法を考えるにあたって、弁護士はそもそも何故判例を探そうとするのか?について考察することは必須かつ有益です。