弁護士由井照彦のブログ

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養子制度は誰のため?−「法律の趣旨」の割り切れなさ

法律の趣旨が法律の条文文言や条文構造により導かれることは、16/10/4の記事で少し書きました。

記事にある節税目的の養子利用は、その「法律の趣旨」がそう割り切れる問題ではないこと、そしてその割り切れなさの隙間に思いがけない目的が割り込んでくることがあることを、かなりえげつない形で表しています。

 

養子制度の目的については、戦前の旧民法と比較しながら考えるとわかりやすく、通説は大体次のように説明しています。

 

まず、戦前の民法は男子が家督を相続するという、家督制度を定め、推定家督相続人(普通は長男)である男子がいる戸主(一族の長)は男養子をとれないと規定していました(旧民法839条)。
つまり、家督を継ぐべき人がいる場合には、男養子ができないのですから、養子制度は家(の家督)が絶える危険を避けるために必要とされる制度、ということになります。
つまり「家」のために養子は認められるわけです。

 

他方で戦前の民法は、戸主でなければ(戸主になる前の推定家督相続人を含みます)、何人男養子をとってもよいとされ、また、婿養子(娘の配偶者)なら、何人でも男養子をとれると定めていました(旧民法839条但書)。
これは「家のための養子」の観点からは説明できず、子を育てたいという親の希望・家族共同体の労働力の増加・老後の親の面倒を見るためという「親のための養子」と、親のない子に親を与え、健全な育成を図るという「子のための養子」の両側面があると言われていました。

 

戦後、現行民法が定められ、家督制度が廃止され、男養子の制限も削除され、更に婿養子という概念も無くなったので、「家のための養子」と考えれれる条文は姿を消しました。

一方で、養親となるには成人であればよく(民法792条)、しかも養子より少しでも年長であればよいとされています(民法793条)。
「子のための養子」が趣旨であれば、親となるにふさわしい年齢や、親子と言えるにふさわしい年齢差を定めるはずです。
そのような規定がないのですから、現行民法での養子制度の趣旨は「子のための養子」と「親のための養子」のどちらか割り切れないものとなっています。

 

その割り切れなさの隙間に割り込んできたのが「節税目的」という目的です。
民法には税金への配慮と考えられる規定はありません。
他方、相続税法相続税基礎控除相続税を支払わなくて良い財産の額)について、3000万円+600万円×相続人の数と定めており(相続税法15条)、また、生命保険等の非課税枠も相続人の数に比例させています(相続税法12条1項5号)。
要するに、相続人が多い方が税金をより少なくできる訳です。これが節税目的の養子が蔓延る原因です。

 

節税目的は相続の場面ですから親は死んでおり「親のための養子」とは言いにくく、また、親のない子に親を与えることとも関係が薄く「子のための養子」とも言いにくい目的です。

しかし、相続税法はむしろ節税目的の養子を前提としており、上記の優遇が認められる養子の数を、実子がいる場合には1人、実子がいない場合には2人に制限する規定を置いています(同法15条等)。

 

そして、節税目的の養子は社会においてかなり広く行われています。
このような現実を前提に記事の最高裁判決の原審である東京高裁判決は「節税目的の養子には『養子縁組をする意思がない』」と判断しました。現実を見ない非常識な判決とも思えますが、養子の目的を「親のための養子」「子のための養子」とすると、理解できる判決です。

 

しかし、最高裁は記事にある通り、正面から節税目的の養子を認めました。
「法律の趣旨」の割り切れなさ、隙間に入ってくる他の趣旨等、考えさせられる判決です。

headlines.yahoo.co.jp

 
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