弁護士由井照彦のブログ

法律の視点からの社会・事件やリーガルリサーチについて

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事実はなかなかわからない

高畑氏の件では、当初報道・弁護人の声明・後追い報道数種、と色々なことが報道されています。
このことは、私たち弁護士などの法曹の考え方の一端を説明するのにとても示唆的です。つまり、「事実はなかなかわからない」ということです。

司法試験に受かると、約一年間「司法修習」という一種の研修があり、裁判官・検察官・弁護士のそれぞれの実務を学びます。その後に通称2回試験と呼ばれる試験があり、合格してはじめて裁判官や弁護士として活動できます。

その司法修習での大きな課題・学びが「事実認定」です。つまり、「何が事実なのか?」を考える専門的な訓練を受けて、テストされるのです。

タイムマシンが無い以上、社会で起こった出来事・事実について、後から「何が起こったか?」を確定することは、事件の痕跡である①証拠と②証拠からの推理によるしかありません。
そして、普段人は証拠を残して行動しようとは思ってないので、証拠は断片的にならざるを得ません。断片的なので、その間をつなぐのは結局推理でしかなく、確実な真実に行き着くことはかなり難しい作業です。

例えば、高畑氏の件でホテルの廊下から部屋に入って行く映像が残っていたとしても(そのような映像があるかどうかはわかりませんが)、その前後の様子もわからず、音声も残っていない状態では、それが無理矢理連れ込んでいるのか、仲良く入っていくのかを確定することは困難を極めます。他の事実や証拠を併せ考えて認定していくことになりますが、その証拠もまた断片的にしかないことがほとんどです。

その上、民事の離婚事件等で顕著になることが多いのですが、まったく同じ事実を見ていても、夫が見た風景、妻が見た風景、子供が見た風景がそれぞれに異なり、しかもそれぞれは嘘をついている訳ではないことがママあります。合意があったか否かに争いがある性犯罪についても起こり得る事態です。
それぞれが嘘をついていないので、その他の証拠もそれぞれの話に矛盾するとまで言えない可能性も高く、やはり事実認定はとても難しいことになります。

また、証拠が玉石混淆であることも事実認定を複雑にします。
例えば、高畑氏の件で「歯ブラシを持ってくるよう言った」との報道がありましたが、それが①高畑氏の供述なのか、②女性の供述なのか、③それ以外の第三者の又聞き供述なのか、によって、その事実があった、と認定できる確実性は大きく異なります。
つまり、その証拠がどこまで信用できて、どこまでの事実を、どの程度推理できるかの判断も、事実認定には必要と言うことになります。

上記のような難しさが事実認定にはあるため、事実認定の専門的な訓練を受けた私たち法曹は「何があったのか」ということについては、一般の人より慎重に考えることになります。

 

zasshi.news.yahoo.co.jp

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