弁護士由井照彦のブログ

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租税回避の何が問題か?

パナマ文書の発見により、租税回避地タックス・ヘイブン)を利用した、不当な税金逃れが問題となっています。しかしそもそも、「租税回避」と「脱税」はどう違うのか?脱税ではないのに何が問題なのか?等、基本的事項ついては意外と知られていません。

まず、税法の適用や運用にあたって、税法の2大原則とすら言えるほどに超重要な原則があります。それが、①租税法律主義と②租税公平主義です。

租税法律主義とは、憲法に定めがあり

憲法84条「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」

と定められています。
要するに、国民から税金を徴収するには、国会で、ⅰ)どのような財産・収入について、ⅱ)具体的な額・税率で、ⅲ)どのような手続きで徴収するか等を明確に決めることが求められています。
国家が国民の大事な財産・収入を国家権力を使って、その一部を支払わせるのですから、国会ではっきり決めておきましょう、ということです。

租税公平主義も平等原則という形で憲法に定めがあり、

憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(2項以下略)」

と定められています。
ただ、租税に引きなおす場合には、9/26の記事で説明した「担税力」すなわち、税金を支払う能力を平等原則に組み込まなければなりません。
したがって、租税公平主義とは、同じ担税力を持つ者には同じ税負担を課し、異なる担税力を持つ者には異なる税負担を課すべきである、ということを意味します。

この2つの原則は具体的な場面では、対立・緊張関係にあるため、租税法の解釈というのは、極論すればどこまでいっても上記の①租税法律主義と②租税公平主義をどのように両立させるべきか?両立しないとすれば、なるべく相反しないようにするにはどうすればよいか?を考える営みです。

さて、租税回避とは、取引の自由=取引の法形式等の選択の自由を利用して、取引上の合理性の観点(言い換えれば、税金を考えない場合の経済的な損得)からは何の合理的な理由が無いのに、普通は使われない異常な法形式を用いることで、法律の定める課税の要件にあたることを「回避」して税負担を軽くしつつ、本来の経済的目的達成する、という行為のことをいいます。

例えば、下記記事のタックスヘイブンを利用した取引では、日本企業である自分の持っている特許を、日本でのみ営業・生産活動を行う日本企業にライセンスしているにも関わらず、ライセンス料の支払先を、特許使用料の税率がとても低いケイマン諸島に作った全く実体のない会社にすることによって、日本での課税から逃れ、税率の低いケイマンで納税し、税負担を軽減しているのです。

「脱税」は事実そのものを隠したり虚偽を言ったりして、法律の要件にあたらないように振る舞うことですが、租税回避では嘘はついておらず、したがって法律違反は全く無い点が大きく異なります。
言い換えれば、法律に従った行為である以上、租税回避を行った者を罰することはもちろん、適正な税金を徴収することも出来ない点が、大きな問題です。

普通に、日本で営業・生産する日本企業にライセンスし、ライセンス料は自分が日本の銀行に持っている口座に振り込んでもらった(日本)企業は、高い税率である日本で、高い税金を収めるのですから、上記の異常な形式をとった=租税回避を行った会社との間で「不公平」が生じているのは明らかです。

つまり、租税回避の問題とは、「法律通り」の課税では、日本企業が支払先だけケイマンのペーパーカンパニーにするというような「異常な」取引をした者が、「普通の」取引をした者より税金を安くできる、という不「公平」が生じる、という問題です。言い換えれば、租税の2大原則である①租税法律主義と②租税公平主義がまともに衝突し、両立しない場面ということになります。

2大原則が両立しないということは、簡単に解決する制度は存在しない一方で、解決しないと税収が減り、税への信頼が低下し、税制そのものが崩壊しかねず、解決の必要が高いことを意味します。
そのために用意されている制度については、別の機会に書くことにします。

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