弁護士由井照彦のブログ

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暴力団は財産を持てるか?−権利能力と法人制度

「組長に使用者責任を認めた」と聞くと「『組』以外に組長の責任も認めたんだ!」と思う人がいますが、実は違います。

まず、「責任を認める」とは要するに損害賠償金を支払う「義務」がある、ということです。「義務がある」という以上、何らかの財産を持っていて、義務を果たさなかったら、権利者(下の事案では詐欺被害者)はその財産を差し押さえて、強制的に支払ってもらうという制度が必要です。例えば、犬に噛まれて犬を訴えて、犬に支払い命令(義務)が出ても、犬は財産を持てず、権利者は支払わせることはできません。

つまり、「義務を負担する」及びその反面として「権利を持てる」というための、「資格」が必要ということになります。法的には「権利能力」といいます。

まず、人間に権利能力があるのは当たり前です。赤ちゃんであっても、親戚が亡くなって財産を相続すれば財産を持てるように、人間であれば、人間であるという理由だけで、権利能力があり、財産を持てたり(権利)、何かの支払い「義務」を負担できたりします。

次に、人間以外に権利能力が認められるか?言い換えれば、人間以外が財産を持てたり、支払義務を負ったりするか?ということが問題になります。
それを可能にするための制度が「法人」という制度です。「法人」とは「法によって人格をもったもの」という意味で、人間ではないけれども、権利能力を認めるために、法律が(人為的に)作った権利能力が認められる存在ということになります。
例えば、株主という人の集合に権利能力を与えたのが、「株式会社」であり、誰かが寄付等した財産そのものに権利能力を与えたのが「財団法人」(美術館の運営主体等に多い)です。

なぜ、法人という制度を作らなければならないか?、なぜ法人という制度が認められるのか?については、法律学で中々深遠な議論があります。しかし、端的に言ってしまえば「便利」であり、「社会的に有益」だから、法人という制度を作らなければならないし、便利で有益だから制度として認められると言えます。
例えば株式会社は、多数の人が少しずつお金を出し合って、大きな取引主体を作り、他方で倒産したときの株主のリスクを出資の限度(要するに株が紙切れになるだけ)にとどめることで大きな取引主体を作りやすくなるという意味で「便利」であり、大きな取引主体ができると国の経済発展に資するという意味で「社会的に有益」だから、制度として必要であり、認められるのです。

さて、このことを暴力団についてあてはめてみるとどうなるでしょう。
暴力団は基本的に徒党を組んで、集団による有形力(暴力)や威勢を力の源泉としており、「暴力団員にとって便利」であるとは言えるかもしれません。
しかし、暴力団の存在が「社会的に有益」とは到底言えません。したがって、暴力団は「法人」として認められる存在ではなく、実際にも暴力団の法人化を認める法律はありません。

つまり、暴力団は一種の「個人事業」であり、組長の別名が「◯◯組」となる、屋号に近いイメージの存在です。そうすると、暴力団「◯◯組」の財産は、法的には組長である××の(個人)財産ということになります。

したがって、組長に責任が認められないとすると、実際に手を下した(多くは末端の)組員のみが責任を負担することになります。組員個人は権利能力はありますが、多くの場合現実にはあまり財産を持っていません。そうすると、被害者が賠償金をとることは事実上できなくなり、従来は、被害者は泣き寝入りを強いられることがほとんどでした。

「組長の責任が認められる」ということは、(法的には組長の個人資産である)「組の財産」を賠償金支払の原資にできることになり、被害者救済の点では非常に大きな意義を持ちます。
そのために、記事にもある通り、暴対法が改正されて末端組員の不法行為の「使用者責任」を組長に負わせることが法的に認められることになったということになります。

headlines.yahoo.co.jp

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