賭博罪とカジノ
家族と専従者控除−婚姻と税のややこしさ4
日本においては配偶者控除という税の問題と、企業が行う配偶者手当が何故か連動しているため、配偶者控除見直しの議論が出ると、記事のように企業の支払う給与にまで問題が波及します。
ところで、税が婚姻に配慮している制度はほかにもあり、配偶者控除の議論もそれら他の制度にも目配りして行う必要があります。その例の1つが専従者控除です。
専従者控除とは、典型的には事業所得、つまり個人で事業をやっている人を想定すると考えやすいと思います。
事業所得では、所得=収入−費用、で計算します。
そこで、家族の手伝いなしに収入4500万円、費用400万円で事業を行っている人(配偶者は主婦・主夫)がいたとします。当然所得は4100万円になります。
そうすると税額は累進税率と控除を考慮すると、
4100万円×45%−479万6000円=1365万4000円
となります。
ここで、その人が家族(多くの場合配偶者)を雇い、もともとの所得の半分強の1900万円を1年分の給与として支払ったとします。そうするとその分費用が増加するので所得は、
4500万円−400万円−1900万円=2200万円
になります。すると、累進税率等を考慮した税額は、
2200万円×40%−279万6000円=600万4000円
となります。
一方で給与をもらった配偶者は給与所得等を考えると税額は、
(1900万円−230万円)×33%−153万6000円=397万5000円
となります。
すると夫婦2人での納税額は、
600万4000円+397万5000円=997万9000円
となり、家族の手伝いなしに事業を行う人の家庭よりも家族の手伝いを受けた家庭の方が367万5000円も税額が低くなります。
家族が専業ではなく、実際に働きに出ている以上、上記の結果は別に不当ではない、と考えることもできます。
しかし、上記の計算からも明らかな通り、我が国は累進税率を採用しており(これが租税公平主義に基づくことは以前書きました)、所得金額が減ると税率そのものが低くなります。したがって、事業を行うにあたって配偶者への給与額を調整することにより、税率を低く抑えることが可能になります。それはやはり、家族の手伝いなしに事業を行っている人との比較では「公平」ではない、と考えられます。
そのため、所得税法は、
所得税法56条「居住者と生計を一にする配偶者その他の親族がその居住者の営む・・・事業に従事したこと・・・により当該事業から対価の支払を受ける場合には、その対価に相当する金額は・・・必要経費に算入しない・・・」
と定め、家族に対する給与は所得の計算上は原則として無視することとしています。
しかし、働く人がたまたま家族であるからといって、給与について全く税法上考慮しない、というのは逆に家族ないし婚姻に対する不当なペナルティになり、不公平とも考えられます。
その緩和のための制度として所得税法は「専従者控除」という制度を設けており、
所得税法57条3項「居住者・・・と生計を一にする配偶者その他の親族・・・で専らその居住者の営む前条に規定する事業に従事するもの・・・がある場合には、その居住者の・・・所得の金額の計算上、各事業専従者につき、次に掲げる金額のうちいずれか低い金額を必要経費とみなす。
一 次に掲げる事業専従者の区分に応じそれぞれ次に定める金額
イ その居住者の配偶者である事業専従者 八十六万円円・・・」
となっています。ちなみに、専従者控除はいわゆる青色申告者については更に拡張されています。
親族の給与の必要経費不算入と専従者控除制度は親族一般の規定であって、配偶者だけにかかわる制度ではありません。しかし、小規模事業者において夫婦で働いている例はかなり多く、我が国の実情では、これらの制度が婚姻と密接に関わっていることは否定できません。
つまり、税と婚姻のややこしさを調整する制度は配偶者控除だけではないのであり、専従者控除制度等その他の制度も横目で見ながら配偶者控除制度の議論をする必要があることになります。
共謀や共犯とは一体何か?
暴力団犯罪に限らず、複数の人が関与する犯罪について、容疑者が「共謀を否認している」という報道がなされていることはよくあります。この報道から事件や犯人相互の関係性等を想像するには、そもそも「共犯とは一体何か?」を知ることが有用です。
刑法は「共犯」の表題の下、60条から65条まで6つの条文を規定しています。つまり、複数名による犯罪について、わざわざ表題を付けて特別の条文を設けていることになりますので、刑法はいわゆる「単独犯」を犯罪の基本形態として定めていることがわかります。
このことは、例えば殺人罪を想定するとわかりやすいと思います。つまり、ナイフで被害者を刺すことが殺人の実行行為であり、刺した人が犯人だ、ということを殺人罪の典型・原則として刑法は想定している、ということです。
しかし、例えば2人組が被害者に因縁をつけて、代わる代わる刺したが、その内1人の刺し傷が致命傷になった、という場合に、致命傷を与えなかった方の犯人が殺人罪としては処罰されない、というのはどう考えても正義に反しますし、犯罪抑止という刑法の目的にも反します。このことを突き詰めると、どちらの刺し傷が致命傷かわからない(立証できない)場合には、無罪という結論にならざるを得ないことになり、不合理さは更に増します。
このような事態に対処するため特別に設けられたのが、共犯に関する規定、ということになります。
共犯の内、共同正犯については、
刑法60条「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」
と規定されています。
これは実行行為者(刺した人)に犯行をそそのかした「教唆犯」や、犯行を助けた「幇助犯」ではなく、実行行為者と「共同して実行した」場合には、その者については実行行為者と同じく「正犯」として、重く罰する、ということを定めています。
ここて重要なことは、共同「正犯」である以上、規定上刑が軽減される「幇助犯」はもちろん、規定上は刑は軽減されない教唆犯よりも、共同正犯は責任が重い、ということです。
しかし、問題はその先にあります。文言上「『共同して』実行した者」となっているため、刺殺の実行行為者にダガーナイフを渡した者のように、殺す行為=実行行為そのものを共同していない(分担していない)者を処罰できるのか?という疑問が生ずるのです。
もちろん、ダガーナイフを渡した者は殺人を助けたことになるので、幇助犯として処罰することも考えられますが、幇助犯の刑は正犯より軽くなってしまいます。
更に、記事のように組長が組員に殺害を命じた場合や、殺害を2人で綿密に計画したが、言い換えれば「共謀」したが、殺害行為は1人でやった場合は、教唆犯にはなり得ますが、犯罪の実態・組長と組員の関係・殺害計画の重要性などから、「正犯でない」=責任が軽い、とするのはいかにも正義に反し、犯罪抑止という刑法の目的にも反します。
そのため、判例や学説は理論構成は様々ですが、「共同して実行した」と言えるために実行行為の分担は必要ではなく、その犯罪の実現にとって重大な意味を持つ行為をした者には正犯としての責任を問うという「法解釈」を行っています。これを共謀共同正犯と言います。
この解釈により妥当な処罰を実現しているのです。
記事のような場合、組長は殺害行為には一切タッチしていません。しかし、組長が組員に命令したとすれば、親分の命令が絶対である暴力団においては、殺害を決定づけるほどに重要な意味を持つ行為をしたと言え、殺人の(共同)「正犯」として罰せられることになります。
したがって、組長が組員に命令したか?つまり共謀があったか否かが組長を処罰する上で、極めて重要な事実となります。そのため、共謀を認めているか否認しているかが、報道されるのです。
租税回避への対処法
所得税法157条1項「税務署長は、次に掲げる法人の行為又は計算で、これを容認した場合にはその株主等である居住者・・・の所得税の負担を不当に減少させる結果となると認められるものがあるときは・・・その行為又は計算にかかわらず、税務署長の認めるところにより、・・・に掲げる金額を計算することができる。一 ・・・同族会社」
つまり、(Xとの間で同族会社と言える)A社の介在により税負担が不当に減少していると認められれば、A社との取引(=行為・計算)が無かったこととして(=否認して)課税できる、すなわち普通のビル賃貸が行われた場合と同様の課税をすることができる、ことを定めているのです。
所得税法157条は上記のように租税回避の内、「同族会社を使った」類型の「一部」について「行為計算の否認」という手法で対処したものです。
外国での犯罪を処罰できるか
国際間の移動が容易になったことから、記事のように外国人が日本で犯罪を犯して、すぐ出国し母国に帰るという事態は増えてきています。
その場合に犯罪地の国が相手国に求める対応は大きく分けて①身柄の引渡し、②代理処罰の2つです。
身柄引渡しは犯人を国内に連れてきて裁判を受けさせ、処罰するということであり、引渡しが行われれば、問題は少ないと言えます。ただ、犯罪人引渡条約を結んでいない限り、引き渡されることはほとんどありません。そして、日本はアメリカと韓国としか犯罪人引渡条約を結んでいません。
引渡しを拒否された場合には、「相手国において相手国の法律に従って処罰を受けさせる」つまり代理処罰を相手国に求めることになりますが、これには大きな問題があります。つまり、代理処罰を求められた国は他国での犯罪を自国の法律で処罰できるか?という点をクリアしなければならないのです。
私は外国法はわかりませんので、日本が代理処罰を求められた場合に引き直して説明します。
犯罪に対する処罰を定めている法律、つまり刑法は冒頭で、
刑法1条「①この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」
と規定し、刑法が適用される対象は「日本国内での犯罪」であるとの原則を定めていることになります(これを「属地主義」と言います。)
しかし、属地主義には重大な例外がいくつか定められています。まず、
刑法3条「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する。(列挙罪名略)」
として、「犯罪地がどこであろうと日本人が犯せば」日本国内で処罰できる罪を列挙しており、殺人罪罪、現住建造物放火等の重罪がこれにあたるとされます。
また、
刑法4条「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国の公務員に適用する。(列挙罪名略)」
とし、「犯罪地がどこであろうと日本国の公務員が犯せば」日本国内で処罰できる罪を列挙しており、収賄罪や公務員職権濫用罪等のいわゆる公務員犯罪がこれにあたるとされています。
逆に、
刑法3条の2「この法律は、日本国外において日本国民に対して次に掲げる罪を犯した日本国民以外の者に適用する。」
とし、「犯罪地がどこであろうと犯人が外国人であろうと被害者が日本人ならば」日本国内で処罰できる罪を列挙しており、殺人罪や強姦・強制わいせつ罪、強盗罪等の生命・身体に害を及ぼす犯罪等がこれにあたるとされています。
そして、
刑法2条「この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯したすべての者に適用する。」
として、「犯罪地がどこであろうと犯人の国籍や被害者が日本人かどうかを問わず」日本国内で処罰できる犯罪を列挙しており、内乱罪関係、通貨偽造罪、公文書偽造罪等がこれにあたるとされています。
その他、条約により属地主義に対する例外が定められている場合もあります。
このように大きな例外がありつつも、外国で犯された犯罪の全てが日本国内で処罰できるわけではありません。立場を変えれば、日本での犯罪が相手国で処罰できるとは限らないことになります。
このように、外国籍の犯罪者が国外に逃亡してしまうと、処罰できる範囲が限られる場合があることから、ニュースにもなるような社会問題になるということです。
もっとも、今回の記事の件は殺人という重罪であり、しかも刑罰が一般に日本より厳しいと思われる中国が相手国であり、問題となっている容疑者が「逃げ得」になる可能性は低いかもしれません。
事実はなかなかわからない
高畑氏の件では、当初報道・弁護人の声明・後追い報道数種、と色々なことが報道されています。
このことは、私たち弁護士などの法曹の考え方の一端を説明するのにとても示唆的です。つまり、「事実はなかなかわからない」ということです。
司法試験に受かると、約一年間「司法修習」という一種の研修があり、裁判官・検察官・弁護士のそれぞれの実務を学びます。その後に通称2回試験と呼ばれる試験があり、合格してはじめて裁判官や弁護士として活動できます。
その司法修習での大きな課題・学びが「事実認定」です。つまり、「何が事実なのか?」を考える専門的な訓練を受けて、テストされるのです。
タイムマシンが無い以上、社会で起こった出来事・事実について、後から「何が起こったか?」を確定することは、事件の痕跡である①証拠と②証拠からの推理によるしかありません。
そして、普段人は証拠を残して行動しようとは思ってないので、証拠は断片的にならざるを得ません。断片的なので、その間をつなぐのは結局推理でしかなく、確実な真実に行き着くことはかなり難しい作業です。
例えば、高畑氏の件でホテルの廊下から部屋に入って行く映像が残っていたとしても(そのような映像があるかどうかはわかりませんが)、その前後の様子もわからず、音声も残っていない状態では、それが無理矢理連れ込んでいるのか、仲良く入っていくのかを確定することは困難を極めます。他の事実や証拠を併せ考えて認定していくことになりますが、その証拠もまた断片的にしかないことがほとんどです。
その上、民事の離婚事件等で顕著になることが多いのですが、まったく同じ事実を見ていても、夫が見た風景、妻が見た風景、子供が見た風景がそれぞれに異なり、しかもそれぞれは嘘をついている訳ではないことがママあります。合意があったか否かに争いがある性犯罪についても起こり得る事態です。
それぞれが嘘をついていないので、その他の証拠もそれぞれの話に矛盾するとまで言えない可能性も高く、やはり事実認定はとても難しいことになります。
また、証拠が玉石混淆であることも事実認定を複雑にします。
例えば、高畑氏の件で「歯ブラシを持ってくるよう言った」との報道がありましたが、それが①高畑氏の供述なのか、②女性の供述なのか、③それ以外の第三者の又聞き供述なのか、によって、その事実があった、と認定できる確実性は大きく異なります。
つまり、その証拠がどこまで信用できて、どこまでの事実を、どの程度推理できるかの判断も、事実認定には必要と言うことになります。
上記のような難しさが事実認定にはあるため、事実認定の専門的な訓練を受けた私たち法曹は「何があったのか」ということについては、一般の人より慎重に考えることになります。
そもそも所得とは何か?−婚姻と税のややこしさ3
配偶者控除と夫婦控除については、百家争鳴となった上で、先送りされそうです。
我が国の税収の52.6%が所得税・法人税・住民税・事業税等の「所得」に対する課税です。また、資産に対する課税の内、贈与税と相続税は所得に対する課税とも考えられる税です(異論はあります)。
日頃話題になることの多い、消費課税は消費税・酒税等全て合わせても、税収の33.7%に過ぎない(消費税単独では17.1%しかない)ことを考えれば、「所得」課税制度が私達の暮らし・企業活動に大きな影響を及ぼすことがわかると思います。だからこそ、所得税制を改正しようとすると、今回のように議論が百出するのです。
したがって、税又は配偶者控除等に対する自分の考えをまとめるにあたっては、そもそも「所得」とは何か?、という視点を持つことは有益だと思います。
「所得」というのは、端的には「経済的な利得」であると言われます。ある人に経済的な利得があれば、その中から税を支払う能力、すなわち担税力が発生することになるので、所得の一部を税として徴収しよう&徴収するのが公平だ、というのが所得税・法人税等の基本的な考え方です。
しかし、問題はその先にあります。
「経済的」ですから、「善意」とか「燃えるような恋」とかは、所得には含まれません。
他方で、経済的に評価できる「利得」であれば全てが「所得」に含まれ、金銭に限られないことになります。
そのため、例えばある土地を持っていて、その土地の近くに駅やスーパーができて土地の値段が10倍になったとします。自分の土地の値段が上がったのですから、「経済的な利得」は明らかに発生しており(いわゆるキャピタル・ゲイン)、担税力もありますから所得として課税されるべきことになります。
しかし、当然ですが実際には売ってない以上、土地所有者の手元には現金が無く、また、その後に価格が下がるかもしれず、税を価格上昇時に徴収するのは技術的に困難です。
ですから、キャピタル・ゲインは土地売却時に精算的に課税することになっています。
また、専業主婦の家事労働(内助の功の1つ)も実は所得です。
9/29のオルドマン−テンプルの法則の説明の際に少し書きましたが、共稼ぎ世帯やひとり親家庭では、子どもを託児所に預けねばならず、費用がかかりますが、専業主婦世帯ではそれがかかりません。これは、専業主婦の家事「労働」により、託児所費用分の経済的利得がその家庭に発生していると考えることができます。したがって、家事労働についても対価等を計算して「所得」を算出し、課税すべきと考えるのが素直です。
しかし、これまた当然ですが家事労働の額を算定することは不可能であり、税を徴収するのは技術的に困難です(キャピタル・ゲインと異なり、タイミングの問題ですらありません)。
税の徴収が困難である以上、現行法上納税義務はもちろんありません。9/29のオルドマン-テンプルの法則もこれを前提にしています。
しかし、所得が発生している=担税力がある以上、本来は課税するのが「公平」と言えるのも確かであり、したがって、この点について何らかの調整的な制度を設ける方が「公平」ということになります。
配偶者控除や今後導入されるかもしれない夫婦控除には、婚姻中立性、女性の社会進出、103万円の壁問題、国の財政事情等複雑な事情や目的が絡み合い、議論が非常にわかりにくくなっています。
わかりにくい議論を理解するためには、それぞれの事情・目的を1つ1つ分解して、考えることが必要であり、分解・分析の道具の一つとして、上記の所得概念を使うことは有益だと思われます。